伊勢崎銘仙アーカイブス

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 DISCOVERY  新たな資料の発見

   このページでは私(管理人)が伊勢崎銘仙等に関する情報で一般には知られていない
  ものを書籍、昔の新聞、ネット、体験、現地の見学等で新たに入手した情報を掲載します



発見箇所 「上毛かるた」のモデル「上野唱歌(こうずけしょうか)」
    を発見、伊勢崎織物はどのように唄われたか? 

  昭和22年に発行された「上毛かるた」は全44枚、その中で「つる舞う形の群馬県」
 が一番知られる
  その、モデルとなった「上野唱歌」は49番まであり、1番が「つる舞う形の群馬県」
 の原型である




 国立国会図書館デジタルコレクションより
   明治33年11月16日発行

 上野唱歌(こうずけしょうか)
 作歌 石原和三郎(いしはら わさぶろう)
 作曲 田村虎蔵(たむら とらぞう)

 1、晴れたる空に舞ふ鶴の、
     すがたに似たる上野は、
   下野 武蔵 岩代や、
     越後 信濃に境して。

























38、桐生は名高き織物地、織姫繻子や羽二重や、改機 縮緬 絽に綾に、目を驚かす色地質。
39、町に山田の郡役所、織物会社は新宿に、水力電気を利用して、その規模ことに大いなり。
40、両毛線の便をかり、走るや西へ十哩、佐波の郡の伊勢崎は、桐生につげる織物場。
41、染織学校名もきこえ、郡の役所もこゝにあり、その外 東の境町、西 玉村も一市邑。

 解説:「上野唱歌」作成時の明治33年は伊勢崎町(市制施行は昭和15年)であった
    唄は桐生町から明治22年に開通した両毛線で伊勢崎駅へと到着する 当時の両毛線
    の時刻表は哩(マイル)で距離を表し、桐生駅・伊勢崎駅は10.1マイル=16.3km)



発見箇所 海野宿(うんのじゅく)で卯建(うだつ)を発見
     明治時代に蚕種業で繁栄

 卯建、卯立、梲・・・うだつ 町家で隣りからの類焼防止の消火壁である



  海野宿は長野県東御市にある かっての宿場
 江戸から中山道を追分宿で左折し北国街道
 とか善光寺街道言われる旧国道18号にある
 江戸時代は宿場で栄えた

  左の写真は江戸時代に出来た
 「本卯建(ほんうだつ)」
  と「鯱瓦(しゃちがわら)」も見られる







 江戸時代に出来た2階の「海野格子」
 ここだけのデザインである










 海野宿は明治になり、宿場の機能は衰退し
 空き部屋を利用し伊勢崎市の田島弥平と
 同じ蚕種業を始めた
 伊勢崎市の田島弥平は利根川縁で、海野宿は
 千曲川縁で風通しが良く蚕種業には最適地
 である
 左の写真は明治の出来た装飾を兼ねた
 「袖卯建(そでうだつ)」と屋根上の
 「気抜き」






 海野宿には
 貞明皇后 養蚕御視察記念碑が2箇所
 建立されている
 昭和24年(1949)6月19日に
 御視察に見えられた

 伊勢崎市の田島弥平旧宅に
 昭和23年(1948)6月5日に
 見えられている










発見箇所 内藤木工所の高機を発見




  10月28日は「群馬県民の日」で公共施設が
 無料開放された
  先ずは
 群馬県立近代美術館で(観覧料820円が無料)
  「人間国宝 志村ふくみの染織」を鑑賞
  続いて
 群馬県立歴史博物館で(入館料800円が無料)
  「海を渡って来た 馬文化」を見学
  最後に
 群馬県立日本絹の里で(観覧料400円が無料)
  「ちりめん創作人形展~秋彩歳時記~」を鑑賞

  3ヶ所で合計2,020円分が無料で見られた







   日本絹の里に常設されている
  高機(たかばた)を裏に回ってみると
  メーカーのプレートが貼られていた

   バッタン 座繰
   織物道具一式
   木工民芸部品製造

   伊勢崎市
   内藤木工所







発見箇所 めいせん店を発見







 伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館で 企画展
「白黒写真に見る郷土とフィルムカメラ展」
 が開催されている

 この企画展のチラシの左上に「めいせん店」
 の看板が掛けられた白黒写真が掲載されて
 いる

 昭和初期に旧伊勢崎町にあった老舗の写真
 解説では
   昭和8年撮影、中村めいせん店
   栄町(現 曲輪町)








 伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館で写真を見たが
 拡大した写真なので不鮮明であった
 チラシの写真のほうが鮮明である

  めいせん店
  中村屋
  銘仙専門 中村屋
  電話107番




発見箇所 富岡製糸場へ6度目の見学



 コレクターの方から富岡製糸場の「マンホール
 カード」が残り僅かなので手に入れて欲しいと
 頼まれ6度目の見学となった

 富岡製糸場内の売店で1人1枚を無料で配布
 但し、見学料の大人1,000円がかかる

 「マンホールカード」とは日本各地のマンホール
 のふたの図柄を、その由来とともに紹介する
 コレクション用のカードである

        詳しくはこちらで 







 缶バッジも売店で無料でもらえる
 左のバッジは「マンホールカード」と同じ
 デザイン
 右のバッジは富岡製糸場内のスタンプラリー
 でもらえる




 

 伊勢崎から富岡製糸場へのアクセス


  伊勢崎市内から国道354号を高崎方面へ進み佐波郡玉村町の道の駅玉村宿 の脇から
 関越自動車道高崎玉村スマートIC(上り線)入口を入る
  藤岡JCTで上信道自動車道に入り富岡ICで降りる 高速代金800円

  高速を降り、カーナビで無料駐車場(上信電鉄 上州富岡駅 東駐車場)へ進むが途中
 道路の無料駐車場への誘導標識は大分遠回りの広い道にて誘導された




 上州富岡駅から富岡倉庫(平成30年度に世界
 遺産センターが開設する場所)へ向かう途中に
 「マンホールカード」と同じデザインのマンホ
 ールを発見








 上州富岡駅から徒歩5分で
 富岡倉庫(平成30年度に世界遺産センター
 が開設する場所)
   所在地:富岡市富岡1450
 現在はおかって市場として利用している







 韮塚製糸場(韮塚直次郎)を発見

  富岡製糸場入口の手前
  所在地:富岡市富岡35

 富岡製糸場の建築を任された韮塚直次郎
 は明治9年10月に個人で器械製糸場を
 操業した






 ブリュナエンジン(復元機)動態展示施設

 繰糸器械等を動かす動力原を地元の富岡市
 の工場技術者達が復元した










 東置繭所2階部分(期間限定公開)













 世界遺産登録3周年記念映画
 東置繭所1階で紅い襷(あかいたすき)展を開催
 平成29年7月1日(土)~10月22日(日)

 長野・松代の横田英の手記を元に制作












発見箇所 単衣銘仙展で「平角」の併用絣を発見






 単衣の着物と言えば絽(ろ)・紗(しゃ)
麻(あさ)等が挙げられるが

 明治後期には絹紡糸を使用した伊勢崎銘仙
は薄い織物「蝉の羽」で夏物の割合が多かった

 夏以外の3シーズンは袷(あわせ)で
裏地に胴裏(どううら)と八掛(はっかけ)
を付ける








 


  透ける単衣の着物はお尻の部分に
 「居敷当て(いしきあて)」の布を付け
  透けるのは防ぐと共に腰の部分の強度
  を図る































「平角の併用」とある

「平角」は機屋 平田角太夫の屋号である
平田角太夫は大正3年3月に 群馬県立工業
学校を第2回生として卒業した
「平達」は平田角太夫の四男である






発見箇所 世界遺産 田島弥平旧宅 発掘調査



 伊勢崎市境島村の田島弥平旧宅の敷地で、表門(南)と東門(東)の間をこの度発掘した













































発見箇所 わたらせ渓谷を行く




水沼製糸所跡

わたらせ渓谷鉄道 水沼駅より国道122を
足尾方面へ徒歩10分
黒保根歴史民俗資料館の裏の在る
黒保根歴史民俗資料館
 桐生市黒保根町水沼乙175
 電話0277-96-3125








星野長太郎の墓

 水沼製糸所跡から南へ国道122号を渡るを在る















和田英が晩年過ごした足尾鉱業所の役宅

古河掛水倶楽部(ふるかわかけみずくらぶ)
栃木県日光市掛水2281
電話0288-93-2015









和田英の告別式が行われた 宝増寺
栃木県日光市足尾町赤沢18-25








発見箇所 世界遺産 田島弥平旧宅周辺を見学


「くわまる」くんが出迎えた
 毎月第3日曜日に、田島弥平旧宅主屋1階
 の「上段の間」と田島善一家の主屋2階と
 櫓(やぐら)が公開

 見学時間
  田島弥平旧宅  9:00~16:00
  田島善一宅  10:00~16:00






 田島弥平旧宅1階「上段の間」

























 田島弥平旧宅から西へ徒歩5分
 田島乙三郎(現当主 田島善一)宅
 屋号は進成館(しんせいかん)























 櫓(やぐら)は4階?(階段を3回上がる)
 になる
 狭く暗い階段で高齢者には無理










発見箇所 至宝のいせさき銘仙Ⅴ


   
二日間限定の特別展示銘仙
  英国のウェストミンスター寺院、王冠、バラが織り込まれた併用絣
  昭和28年(1953)6月2日に英国女王エリザベス2世の戴冠式が
  ウェストミンスター寺院で行われた
  これを記念して織り上げたものと思われる

 
    まさに逸品(一品)
 
   ウエストミンスター寺院
 
      王冠、薔薇




発見箇所 人気ロック・バンド back number(バックナンバー)の聖地
     ゆかりの場所(のこぎり屋根)を発見


  2015 JR東日本 広瀬すずの SKISKI CMソング 「ヒロイン」で知られる
 伊勢崎生まれのロック・バンド back number(バックナンバー)3人が高校時代
 に練習した思い出の場所を発見

  第13回音楽ファン2万人が選ぶ好きなアーティストランキング 2016世代別10代部門

 1位  嵐 櫻井翔は群馬県生まれ 
 2位  back number  伊勢崎市で誕生
 3位  西野カナ  


  清水依与吏(しみず いより) ボーカル、ギター 伊勢崎商業高等学校卒
  小島和也(こじま かずや)  ベース、コーラス 伊勢崎工業高等学校中退
  栗原 寿(くりはら ひさし) ドラムス     伊勢崎工業高等学校電気科卒


  現在「レフュッジ伊勢崎」
  ダストボウル伊勢崎のライブハウス
  で初ライブ

 のこぎり屋根のDUST BOWL REFUGE 伊勢崎


   伊勢崎市東本町103-4









 下島株式会社の敷地に下嶋昭夫氏が
 社長時代に建設したものである










発見箇所 あかぼり小菊の里で着物美人を発見







    あかぼり小菊の里
   (伊勢崎市磯町412-3)

    平成28年は10日程開花が遅れて
    11月13日まで開園














 園内の一番高い場所(山頂?)に
 ユニークな案山子(かかし)が大勢で
 出迎えてくれる

 今年は着物姿の美人さんが出迎えてくれた
 後ろは全員案山子(かかし)です






発見箇所 半併用銘仙(はんへいようめいせん)







  桐生織塾「半併用銘仙展」

  入口の幡題字「紘」は新井淳一氏







 半併用銘仙は足利を代表する技法で秩父産地でも製造された
 着物・羽織を中心に51点が展示された





 経糸(たていと)は解し技法で柄を作り
緯糸(よこいと)は簡易括り絣で織り込む

 昭和9年頃足利の機業家 茂木富二が開発
した技法






  緯糸の大きくずらした絣足(かすりあし)で陰影と奥行きが生まれ模様を浮き上がる効果
 が出る
  伊勢崎の併用絣の様に柄合わせがシビアで無く、製織が容易で大量生産が可能でコスパが
 高く人気があった



   
   
   
   



発見箇所 新橋に銘仙の図柄が?



 伊勢崎郵便局の前に県道前橋・館林線が通り
西は広瀬川で新開橋がある
郵便局から新開橋間の道は昭和2年に開通した
 この周辺は伊勢崎城の防衛のために道はクラ
ンク状で館林方面から前橋へ向かうには郵便局
の交差点を左折し800m南下し銭兵商店を
右折し新橋(旧名称 千手院橋)を渡り前橋へ
向かう




 この新橋に銘仙の絣の図柄が描かれている
 写真は新橋の中程から三光町方向を撮影


  三光町は昭和42年3月に3町内が合併して出来た町内なので三光町と命名した
 西町、川岸町、宮元町(裏町から昭和15年に町名変更)
  三光町は江戸時代からの商業の中心地であった


発見箇所 伊勢崎銘仙のルーツ「大絣(おおがすり)」


  いせさき明治館で発見
 「大絣」は大柄で絣糸の使用する量が多い
  伊勢崎市豊受地区を中心に生産された


















  反物の横幅9寸8分(約37cm)にいくつの山(柄)があるかにより分類
  特に明確には定義されていない、山(柄)の大きさにもよるが・・・

   1、大絣(柄)    概ね4~6山以下
   2、中絣(柄)    概ね7~20山
   3、小中(こちゅう) 概ね21~40山
   4、小珍(こちん)  概ね40山以上



   
   
   
   
   




発見箇所 絣はインドで発祥し、グローバルに伝播


 桐生地域地場産業振興センター 世界の民俗衣装展「世界の絣」より






 思わず目に留まった文様


  O-2028 チャパン
 原産国:中央アジア
 素材:絹 文様:幾何丸
 技法:絣織 キルティング








   
     4階「資料展示ホール」     伊勢崎銘仙とウズベキスタン
   
       インドネシア          インド
   
     伊勢崎銘仙(板締絣)         ミャンマー
   
   中央アジア、トルクメニスタン        グァテマラ




発見箇所 いせさき明治館で「千代田御召(ちよだおめし)」を発見


  千代田御召(ちよだおめし)とは 伊勢崎産地で昭和8、9年ころ大流行した新規格織物
 で大変人気をあつめた商品である
  経糸(たていと)に絹紡糸、緯糸(よこいと)に人絹糸の120デニール以上の強撚糸
 (きょうねんし)を用いて交織(こうしょく 異質の織糸を2種以上用いて織り上げること) した ちぢみ織物 御召風の織物である


  いせさき明治館で「涼を呼ぶ 単衣めいせん展」が開催され千代田御召の単衣(ひとえ)が
 3点展示された






 単衣の千代田御召

 壺垂れ(つぼたれ)の文様










皺(しぼ)

織物の表面に作られる細かい波状の凹凸














着物の大半は裏地のある袷(あわせ)ですが
浴衣の様に裏地を付けない単衣(ひとえ)が
あります

蝉(せみ)の羽の様に透けます









 青色で涼を呼ぶ経縞(たてしま)文様















 幾何学文様 格子柄











アップすると皺(しぼ)が良く分かる












発見箇所 前橋で伊勢崎銘仙を発見


 

 群馬県中小企業会館
(前橋市大手町3-3-1)

 1階ロビーに「群馬の県産品」が常設
 陳列されている







  伊勢崎銘仙を中央に、右に桐生織、左に高崎だるま等が展示されていた




 伊勢崎銘仙は平成13年
 伊勢崎銘仙復刻プロジェクトが発足以降の
 もので新しい銘仙である








 左側の銘仙は「矢羽(やばね)」や「矢絣(やがすり)」と呼称し 幾何学文様で
 弓矢の羽根の形である
 矢羽の着物は身を守る意味で縁起の良い柄、又結婚の際に持たせると戻らないとも言われる
 矢羽の文様は桃山時代からみられる
 技法「解し模様」


 右側の銘仙は「市松(いちまつ)」と呼称し、四角形を縦横に並べた幾何学文様である
 市松文様は古墳時代からみられ、江戸時代の女形歌舞伎役者の佐野川市松の衣装に由来し
 「石畳文」が「市松」と呼称
 「市松」文様は2020東京オリンピックのエンブレムに採用された
 



発見箇所 明治24年に施工した組合事務所の門柱か ?





 明治24年3月23日
 伊勢崎織物業組合に事務所完成

 正門に御影石(みかげいし)の
 門柱が4本建設されていた






 


 門柱の1本が組合敷地内に保管されている

  高さ 2m93cm
  横幅   46cm
  厚さ   45cm

  寄贈者 細野次郎君 と彫られている










 門柱の台座部分

  高さ  68cm
  横幅  54cm
  厚さ  45cm








発見箇所 座繰りに挑戦!

  群馬県立日本絹の里を会場に1日コースの「煮繭(しゃけん)と座繰り」講習会を受講
  講師は元群馬県蚕糸園芸課絹主監 狩野寿作氏



 講師 狩野氏は説明のなかで
伊勢崎の機屋 芝崎重一氏の
座繰り糸へのこだわりのこと
を何度も話された

  芝崎重一のページへ




 赤城山麓春繭の座繰り糸で着心地の良いきものを製作する芝崎重一(しばざき しげかず)氏




 講習会で使用した繭(まゆ) ぐんま200

















 

1、煮繭(しゃけん)

   繭(まゆ)を煮てセリシンを溶かしたり、柔らかくして糸が取り出せる状態にする工程

   鍋にお湯を沸騰させ、弱火にし鍋に繭を入れ、落し蓋をし2~4分煮る
   火を止め30秒後に差し水をし1分間おいて煮上がり














 2、繰糸(そうし)

   製糸作業での中心的な工程で、前の工程で煮繭(しゃけん)した繭から糸口を取り出し
   目的の太さ(繊度)の生糸となるように数本以上の繭糸を合わせて繰(く)り取る工程

   参考
    富岡製糸場・・・器械製糸 自動繰糸機
    組合製糸・・・・座繰り器

   


  講習会で使用した座繰り器は
 上州座繰り器で ギア比 1:4.5
 の前橋座繰り器


  ミゴ箒(ほうき)で鍋の中を回転させ
 撚り(より)をかける





 3、揚返し(あげかえし)

   前の工程で繰糸(そうし)した生糸は座繰り器の上部の小枠(こわく 木枠)に固く
   巻き付く 揚返しでは小枠での生糸のストレスを除き大枠(おおわく 枠周1.5m)
   に巻き直す






 講習会で使用した揚げ返機は4連で同時に4つの
 小枠から4つの大枠に巻き直す作業が出来る

 揚げ返機のカウンターで生糸の長さが分かる
 巻き取った最初と最後の糸を結ぶ(くち留)
 綛(かせ)の形が崩れないように力糸(あみそ)
 をかける
 生糸を揚げ返機から外す







 講習会での成果物
 綛(かせ)の状態の生糸









 参考・引用資料
  碓井製糸事業部長 狩野寿作作成 講習会テキスト
  小誌「群馬の養蚕業と製糸業」  発行日 平成27年3月 群馬県農政部蚕糸園芸課
 


発見箇所 東京農工大学 科学博物館を見学





現在、 法政大学総長をされている田中優子氏が編者をされた
    「手仕事の現在 多摩の織物をめぐって」
      法政大学出版局 2007年5月

 各地の織物産地に共通するテーマであり関係者必読書である
 本書で紹介している「繊維博物館」は
   「東京農工大学科学博物館」に現在は名称を変更している








 東京農工大学科学博物館
 所在地:東京都小金井市中町2-24-16
 電話:042-388-7598


 コンテンツは養蚕を中心に繊維関連の資料を展示
 当博物館を支えるOBによる組織・・・繊維技術研究会が在り
 毎週火曜日が活動日で見学は火曜日がお薦めである








 繊維関係の機械・装置・試験検査機器等を火曜日には稼動させて説明してくれる
 機械を稼動出来る状態で保存している博物館は珍しい、
 図書「手仕事の現在 多摩の織物をめぐって」で薦めるだけの博物館であると思えた

 

 機械の中に絹紡糸(けんぼうし)製造にも使用する機械があった






梳綿機(そめんき カード)
繊維を櫛で均して、繊維方向が揃った綿状の塊
(スライバー)にする器械























練条機(れんじょうき)

カード機でつくられたスライバー8本から10本を引き延ばしながら1本のスライバーにすることにより、より均一なスライバーにする。ここで繊維の向きは更に一定方向にそろえられ










 精紡機(せいぼうき)









発見箇所 伊勢崎市下植木町に「文化村」を発見






 現 伊勢崎市下植木町 粕川左岸
一帯で大正7年に下城勝麿が
「互盟商会」を設立し
 文化御召、文化銘仙を製造した
際に従業員の社宅、協力企業が存
在した地域









  文化御召、文化銘仙を製造したので
 通称「文化村」と呼ばれた
  現在は閑静な住宅街となっている

 *文化御召、文化銘仙は
  模様銘仙(解し織)を応用したもの
 *文化銘仙は産地により意味が異なる




   新粕川橋南詰から文化村を撮影


発見箇所 長野県岡谷市の岡谷蚕糸博物館を見学「あゝ野麦峠」を再考
     博物館には(株)宮坂製糸所が併設し実稼動



 岡谷蚕糸博物館は「富岡製糸場」の世界遺産登録の
2014年6月から2ヶ月後の8月に現在地に施設を
充実させ移転し、(株)宮坂製糸所を併設した

 「あゝ野麦峠」の映画や小説を読んでいて疑問点が
いくつか出てきたが
 今般、岡谷市立岡谷蚕糸博物館を見学する機会を得て、
この疑問点が解決出来ました

 髙林千幸(たかばやし ちゆき)館長から詳しく解説
を戴きました

  岡谷蚕糸博物館のホームページ





 当博物館には(株)宮坂製糸所が併設され
 日本の製糸技術を代表する三方式が実稼動しており工場見学が出来る

  (株)宮坂製糸所のホームページ





 上州式撚糸機













 諏訪式撚糸機














 自動撚糸機













発見箇所 伊勢崎の華蔵寺公園で細野次郎の碑を発見






  花見で華蔵寺(けぞうじ)公園に出かけたら、
  細野次郎(ほその じろう)の碑があった






 豪額「天真細野次郎君碑」







 説明板に工業試験所や工業学校を設立し
 染織業の振興を図った
とあったので早速
 調査開始






  説明版には
  昭和63年8月 伊勢崎市
  (社)伊勢崎青年会議所創立25周年記念
  制作 街づくり市民ゼミナール歴史班




 細野次郎(ほその じろう)
 文久2(1862)~大正5年(1916)行年55歳 政治家
   伊勢崎町に細野時敏(ときとし)の次男として生まれる
   商業講習所、商科大学で学ぶ
   明治21年(1888)~明治25年(1892)群馬県会議員
   明治35年(1902)~大正 2年(1913)衆議院議員
   明治38年(1905) 日比谷焼打事件の指導者
   大正 元年(1912) 伊勢崎に上毛撚糸(株)を創設に尽力




   コメント:織物組合や工業学校の資料からは細野次郎の名前は出てこないが、
        下城弥一郎との関係では名前が出てくる
        伊勢崎に金融機関の誘致を切望した下城弥一郎は細野次郎の紹介で
        公爵松方正義に会い、安田善次郎に群馬商業銀行を設立させたとある



 引用・参考資料
   下城弥一郎    伊勢崎郷土文化協会
   群馬県人名大辞典 上毛新聞社
   群馬の漢文碑 續  群馬県立女子大学長 濱口富士雄著



発見箇所 産官連携による併用絣の「技術保存事業」の成果

  平成27年12月ヤフオクで書籍、伊勢崎銘仙を検索したら「月間 染織α 2005年4月号
  No289」がヒットし290円でゲット出来た








 「染織α」では特集で「絣の魅力」を取り上げ
 桐生市在住の伊勢崎銘仙研究家の武藤和夫氏が
 書かれた

 「庶民に愛されたおしゃれキモノ
  伊勢崎銘仙を演出してきた絣の技法
  が掲載されていた







  この記事の中で、武藤氏が昭和32年4月に群馬県伊勢崎繊維工業試験場へ勤務して
 いる際に試験場で「技術保存事業」として併用絣による干支を織り、額入りにして贈答品
 を製作した
  十二支の他に上毛三山や尾瀬の水芭蕉などを技術継続を目的に産地機屋に外部委託した
 とある


  試験場と平田達男氏との共同研究による「技術保存事業」の成果物はその後平田達男氏が
 亡くなられる平成22年までの50年間継続され成果を修めたと言える

 「産学官連携」、「産官学連携」とは民間企業等の商業活動「産」に対して大学、高専等
 のアカデミックな機関「学」と地方公共団体等の「官」との二者が加わり新製品開発等を
 行うことである
  日本では昭和16年(1942)が最初の事例と言われるが、伊勢崎織物では明治時代
 に行われた

  明治19年に伊勢崎織物業組合は染色講習所(後の群馬県立伊勢崎工業高校)開設し子弟
 に対しての教育だけでなく、組合員に対しては研究室の役割や検査機関として機能し、これ
 により高度な品質向上が図れたと言える
  また、大正3年には群馬県伊勢崎繊維工業試験場の前身である群馬県物産陳列館伊勢崎
 支所が設立されて組合員に図案の指導に当たった





発見箇所 富岡製糸場の払い下げに伊勢崎の森村堯太が入札に参加していた

  官営の富岡製糸場は赤字経営のため民間への払い下げが行われた
 



 第1回 明治13年 入札参加者無し

 第2回 明治24年 2者が入札に参加する
     が、予定価格の5万5000円に
     満たなく不調に終わる

 第3回 明治26年 5者が入札に参加
   1、12万1460円
         三井銀行社長 三井高保
   2、10万3170円
         滋賀県 下郷傳平
   3、10万2550円
         長野県 林 国蔵
   4、10万2050円
         長野県 吉澤利八




   5、 7万5202円10銭  群馬県    森村堯太(もりむら ぎょうた)
      予定価格が10万5000円のため最高額の三井銀行の三井高保が落札した
      書籍「生糸改良にかけた生涯 速水堅曹」より



 入札に参加した森村堯太とはどの様な人物でしよう?
  森村堯太(もりむら ぎょうた)初代  文久(1863)~大正12年(1923)




 伊勢崎市連取町の森村姓は
五十嵐清隆伊勢崎市長のルーツの五十嵐姓から
派生している

 森村堯太の本家 「旧森村家住宅」




 旧森村家住宅(伊勢崎市指定重要文化財)は一般公開を行なっている
   伊勢崎市連取町377-1







 伊勢崎市連取町には森村姓は現在40~50軒
存在する
 森村堯太の生家は本家から南南西の笠松近く
で通称「天神の家」と呼ばれた






 連取のマツ(群馬県指定天然記念物)通称「笠松」
  伊勢崎市連取町591



  連取町の森村一族は結束が強く「森村家念祖会」と「鶴円会」を組織し相互扶助等を行って
  いた
  特に「鶴円会」は家紋鶴の丸から名が付き金融面の活動を中心に行っていた

  明治20年(1887) 森村堯太は織物業者相手の金融会社「三星社」を設立
  明治21年(1888) 伊勢崎銘仙活況のため資金需要の増加に応えるために
              「三星社」を基に「伊勢崎銀行」を設立し副頭取に就任
   上毛貯蓄銀行の取締役や群馬県農工銀行にも関わり群馬県金融界のリーダー的
  存在であった
   森村堯太はキリスト教に入信し、共愛学園の創立や県会議員として廃娼運動に尽力
  された

  連取町の森村一族は過去現在において優秀な人材を輩出している
  その中で森村酉三(もりむら とりぞう 明治30年~昭和24年)が挙げられる
   彫金工芸家で海外にも出展、地元では高崎観音山の「白衣大観音」の原型を制作
  したことで知られる



 引用・参考資料
  「85年 私の見聞録」 森村知孝著 昭和50年 非売品 伊勢崎市図書館にて閲覧可
  「ぐんま史料研究 第22号」 森村堯太とその生きた時代 石原征明著 平成16年
                 発行:群馬県立文書館
  「私論 上州伊勢崎 五十嵐一族小史」 五十嵐基興著 平成23年 非売品
                 伊勢崎市図書館にて閲覧可
  「鋳金工芸家・森村酉三とその時代」 手島仁著 平成26年 発行:みやま文庫
  「生糸改良にかけた生涯 速水堅曹」 平成26年
            現代語訳 富岡製糸場世界遺産伝道師協会 歴史ワーキンググループ
            代表訳:速水美智子 発行:飯田橋パピルス



発見箇所 富岡日記の著者 和田英(わだ えい)のルーツを探る


   和田 英(旧姓 横田) 安政4年(1857)~昭和4年(1929)享年72歳
   和田家の菩提寺 長野市松代町松代1142 蓮乗寺(れんじょうじ)

   富岡日記は著作権切れのためネットで閲覧出来ます 富岡日記





 平成27年10月、長野県長野市松代町へ

 旧松代藩士の横田家に生まれた英(後の和田 英)は
明治6年、17歳の時に県からの命により富岡製糸場へ
松代町より英を含めて16人で入場

 明治6年3月に松代町を出発してから明治7年7月
まで1年余りの富岡製糸場での伝習工女としての体験
を明治40年の50歳の時に回想し執筆した







  富岡日記 和田 英著 上毛新聞社
  昭和48年










 旧松代藩の士族の合資によって
 地元の埴科郡西条村六工(はにしなぐん
 にしじょうむら ろっく
 現在の長野市松代町西条3574)
 に西条村製糸場、後の六工社(ろっこうしゃ)
 を明治7年7月操業
 和田 英らは工女に技術指導を行った







 富岡日記・機械糸繰り事始め みやま文庫 昭和60年
 *和田 英の富岡日記と、前橋藩の機械製糸工場に取り組んだ深沢雄像を娘コウが口述を記載







旧横田家住宅(和田 英の生家)
長野市松代町松代1434-1 入館料200円

 和田 英の弟、横田秀雄は大審院長、その子
 横田正俊は最高裁判所長官
 秀雄の弟謙次朗は鉄道大臣と多くの秀才を
 生んだ一族である
 







長野県立歴史館
千曲市屋代260-6 観覧料300円

 六工社の器械製糸機の模型(実物大)が
 展示






発見箇所 JR伊勢崎駅に大きな伊勢崎銘仙の看板(ポスター)が掲示

  JR伊勢崎駅の改札口近くの柱に伊勢崎銘仙の大きな看板(ポスター)が掲げられている
 改札口を出る(降りる)際に柱を見上げるとある























            -- 看板の字は 横書きに変換 --

            絣のふるさと
            伊勢崎銘仙
                  伊勢崎織物協同組合
                  伊勢崎織物工業組合


  柱の後ろは改札口(降り口)である 天井の蛍光灯の反射で上部が光っている
 伊勢崎駅周辺連続立体工事により、平成22年(2010)新駅舎の供用に伴い
 新しい看板(ポスター)が掲示された




 写真は、JR伊勢崎駅の建て替え前の旧駅舎
伊勢崎織物組合の看板は、新駅舎と同じ改札
出口の上部に掲げてあった

  -- 看板の字は --

   絣のふるさと
   伊勢崎織物



 昭和50年に伊勢崎絣が国の伝統的工芸品の指定を受けてのキャッチコピーである






発見箇所 通崎睦美(マリンバ奏者)さんの著書「ソデカガミ」に
     伊勢崎銘仙の機屋 森村商店 故森村陽至氏の飛行機銘仙が掲載

   マリンバ奏者 通崎睦美(つうざき むつみ)さんは銘仙のコレクターでもある
  通崎さんの著書の一つに銘仙コレクション「ソデカガミ」があり、その中に
  谷本天志デザイン 銘仙反物「飛行機」平成15年(2003)伊勢崎の森村商店にて
  製作と解説し2ページにわたり写真がモノクロで掲載されている

  さて、森村商店の故 森村陽至(もりむら きよし)であるが
     昭和17年12月 群馬県立工業学校(現 県立伊勢崎工業高校)紡績機械科卒
     昭和20年 9月 桐生高等工業学校(現 群馬大学)機械科卒
     昭和55年    有限会社 森村商店の代表として 伊勢崎織物協同組合理事
          当時、森村商店の所在地は伊勢崎市緑町とあるが
          平成元年にその地にはビジネスホテル 平成インが建った










  NHK Eテレが平成19年3月に放送した
「知を楽しむ 歴史に好奇心」通崎睦美案内
「京都きもの玉手箱」
 通崎睦美さんはマリンバ奏者で銘仙のコレ
 クターでもある















 銘仙着物コレクション
 ソデカガミ
 著者 通崎睦美
 2004年1月発行
 発行所 PHP研究所
 価格 ¥1,600円(税別)
 ページ数 166P

通崎睦美さんが、幻の銘仙着物柄100点を
エッセイとともに綴る








 *飛行機銘仙の写真(画像)はネットに沢山存在するので飛行機銘仙で検索されては!






発見箇所 伊勢崎出身の故高橋長吉 大島紬を指導し奄美大島に顕彰碑











      上毛新聞  昭和56年9月の記事



 高橋長吉 1901(明治34年)~1977(昭和52年) 享年72歳
  明治34年       伊勢崎市に生まれる 
  大正 7年3月     現・群馬県立伊勢崎工業高校卒業
  大正10年~昭和13年 鹿児島県からの要請により奄美大島支所に派遣
   (18年間)     大島染織指導所の創立や意匠図案の指導を行い
              大島紬の隆盛に貢献された
  昭和13年       神奈川県庁に勤務
  戦後は         東京の民間会社に勤務
              晩年は伊勢崎織物工業組合で検査員を務めた
  昭和52年       11月1日逝去
  昭和56年9月26日  本場奄美大島紬協同組合の創立80周年記念で
              先覚功労者の1人として顕彰碑に名前が刻まれている










 鹿児島県奄美市名瀬佐大熊町(現在の地名)
に建立された顕彰碑










 同様の内容が下記記念誌に記載されている

   昭和町六十五周年記念誌
  「思い出の記」中里を顧みて 平成17年 昭和町発行

 顕彰碑の序幕式には髙橋さんの妻 清子さんと娘さんが参加された























発見箇所 荒船風穴を見学
 


 念願の荒船風穴を見学してきました
世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の中で
荒船風穴は山中に在り、冬季は閉鎖されます
 地元の下仁田町ではマイカーでのアクセスは
神津牧場を経由するコースを薦めています
 駐車場に車を停め片道20分程度歩かなけれ
ばなりませんので運動靴等の支度が必要です
 私が見学した日は、年配のご夫妻が途中で
「厳しい坂道です」の看板を見て途中で戻って
 きました

    2015年8月19日番舎跡から



  健常者は別とした体力に自信な無い方には次のコースをお薦めします
 上信越自動車道 下仁田IC → 国道254号 → 下仁田町歴史館 → 春秋館

 → 県道43号(平日は通行可能) → 荒船風穴 → 神津牧場 → 国道254号



 下仁田町歴史館
 群馬県甘楽郡下仁田町大字下小坂71-1
 月曜日は休み TEL0274-82-5345
 入館料200円(但し、荒船風穴を
 プラス300円で見学可)
 当センターは荒船風穴の解説機能を有している
 ので荒船風穴へのアクセス等の最新情報を入手
 出来る能

 下仁田町歴史館で購入出来る
 荒船風穴の学術的解説本
世界遺産 富岡製糸場と絹産業遺産群
「荒船風穴蚕種貯蔵所跡」(普及版)DVD付
発行:下仁田町教育委員会 平成26年12月
税込1,000円




   春秋館     群馬県甘楽郡下仁田町大字西野牧
           詳しい場所は下仁田町歴史館にてお調べ下さい
           荒船風穴の運営会社であった 外観のみ見学

   荒船風穴    群馬県甘楽郡下仁田町大字南野牧甲10690-1外
           見学料500円(下仁田町歴史館入館料200円支払場合は300円)
           
   荒船風穴の自然環境
    風穴から洞窟をイメージしていた 広辞苑にも風穴は洞穴とある
    荒船風穴には洞窟と言えるものは無い 山の上から玄武岩が崩落し堆積したものである
    冬に玄武岩が冷やされ、春になり雨水が岩に浸み込み凍り、樹木が生い茂り一年中低温
    を保ち、風が岩の間を通過して冷風が漂うと言う幾つかの条件が重なったメカニズムで
    ある

   荒船風穴の存在意義
    蚕の卵・・・蚕種は自然界では春になり暖かくなると年に1~2回孵化(ふか)する
    荒船風穴で蚕種を冷蔵保存し孵化時期をずらすことにより養蚕農家は年に4~5回
    孵化させることが可能になった 現在で言えば大型電気冷蔵庫の機能を持つ
    これによりほぼ年間を通じて大量の繭(まゆ)の生産が可能となり生糸の大衆化が
    図れた 昭和になると電気冷蔵庫が普及し風穴の操業は停止した





発見箇所 織物組合の建物西側に藍瓶が



 8月上旬、織物組合恒例の
いせさき祭り協賛の蔵払いセール
が伊勢崎織物会館(伊勢崎市曲輪町)で
開催された

 会館の西側駐車場に藍瓶(あいがめ)が
4個置いて有った




 堤悌一氏を中心に「草木染めの研究開発」に用いた藍瓶である

  伊勢崎織物工業組合は昭和54年8月に産地中小企業対策臨時措置法(産地法)
 の指定を受け新商品・新技術の開発事業を行った
  その事業の一つが「草木染めの研究開発」で藍染技術研究会を組織し
 伝統工芸士の堤悌一氏が伝統的工芸品伊勢崎絣の藍染めに取り組んだ
 (事業は昭和58年度まで続いた)
  氏は藍の産地である徳島まで足を運び、絹での藍染に成功し素晴らしい成果を収めた

   堤 悌一(つつみ ていいち)
     昭和 6年生れ
     昭和24年  群馬県立太田高等学校卒業後、家業の紺屋に従事(三代目)
     昭和56年  国の伝統工芸士に認定される(当初の認定部門は板締絣)
     平成18年秋 瑞宝単光章を叙勲





 引用・参考資料
  伊勢崎織物組合百年史      伊勢崎織物協同組合        1983
  伝統工芸士名鑑         (株)ふたば書房         1986
  伊勢崎の織物展         群馬県立日本絹の里 上毎印刷   2000
  私の中のシルクカントリー 下  上毛新聞社            2010
  いせさき銘仙          みやま文庫            2014





発見箇所 昭和63年 鈴平織物 伊勢崎銘仙を生産、半分は秩父の買継へ



業界紙 日本繊維新聞
(2010年11月より休刊)
昭和63年(1988)7月21日号
新・産地を担うリーダーたち
で伊勢崎産地を取材した





 「鈴平織物(鈴木禧栄)では銘仙を織り続けている
  自社のみでは消化できないから・・・半分は秩父の買継商に扱ってもらう」とある





 平成17年(2005)に足利市立図書館において
「足利銘仙の黄金時代展」が開催された
 コンテンツは
 川田穣コレクションで銘仙5大産地の銘仙を展示
していたが「明確に産地を特定することは出来ない」
との解説があった

 関東一円に点在する銘仙産地は買継商を通じて
交流が盛んにあったと言える









発見箇所 群馬県庁舎に伊勢崎絣が

   

    平成27年5月下旬に前橋市出身の元東京藝大の美術部長をされた
   池田政治(いけだ せいじ)さんと一緒になった
    彼に伊勢崎銘仙に関して知ることを色々と聞いてみた
   1、彼は
群馬県庁舎アート計画の実施案を策定し、県庁のエレベータードアのデザインに
     伊勢崎銘仙(伊勢崎絣)のデザインを取り入れた
   1、町田嘉章は東京美術学校出身で池田政治さん(東京藝大美術部)の大先輩であり
     伊勢崎市で開催した町田嘉章の業績を紹介した展示会や生家(生地)を訪れたこと
     が有る



 平成11年に建設した群馬県庁議会庁舎
のエレベータードアの意匠は伊勢崎絣にも使われ
ている琉球の燕柄である
 群馬県庁アートマップを参照のこと
 群馬県庁内には本県ゆかりの織物図案や埴輪
をモチーフにした作品が点在している
 探してみては?






 日本の絹マークは平成14年(2002)に
 日本絹業協会が池田政治さんを選考委員長にして
 多くの応募作品から選んだ

   

 







発見箇所 楫取素彦(かとり もとひこ)の功徳碑賛助人に伊勢崎から
     伊勢崎織物業組合を筆頭に機屋が名前を連ねていた




「前群馬県令楫取君功徳の碑」がNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の放送
に合わせ平成26年12月群馬県庁の高浜公園から前橋公園芝生広場へ
移設した
 同時に「楫取君功徳碑賛助人名の碑」と
「宮崎有敬翁紀功之碑」も移設した
 *群馬県庁に駐車し徒歩5分






 楫取素彦碑の北隣に「楫取君功徳碑賛助人名」
の碑が建立されている
 明治25年3月 初代前橋市長下村善太郎等の
有力者が発起人なり完成させた
 同年4月には楫取素彦本人を招き建碑式を挙行
した


 「楫取君功徳碑賛助人名」の碑には多くの賛助者の芳名が刻まれている




































































   郡名  町村名  賛助者  主な職業・役職等 引用図書等 
 1 佐位郡   伊勢崎町  織物業組合  明治19年に伊勢崎太織会社
が伊勢崎織物業組合となる
 
     従七位 大野和信  那波郡長、佐波郡長  市史P63
 3      膳浅次郎  膳城主膳備中守の末裔  下城P124
 4      星野源八郎  伊勢崎町会議員  
 5      星野太平  伊勢崎町会議員  
 6      武孫平  伊勢崎町長  
 7      下山求平  織物組合長歴任  
 8      町田傳七郎  大盛座の創設メンバー  市史P398
 9      相川次郎平  伊勢崎町副議長  市史P27
 10      羽尾勘七  織物組合長歴任  
11       中澤豊七  本町 中澤豊七商店の先代  
12       野田茂介  不明  
13       若村源左衛門  砂糖・紙商(滋賀県出身)  市史P275
14       新井房五郎  本町 菓子製造
(茂木園の隣り)
 市街地の民俗
P230
15       吉永新太郎  醤油味噌・陶器販売
(滋賀県出身)
 市史P275
16       大竹勝二郎(勝次郎)  生糸商  上毛新聞
17       町田多十郎  不明  
18       久保田兵平  三光町 銭兵商店の先代  市街地の民俗
P232
19       小暮守三郎  伊勢崎町名誉助役  市史P158
20       川端庄三郎  教育者、
染織講習所入所    
 市史P178
組合史P208
21       細野右左二  伊勢崎町副戸長  慶応大古文書
22       捧箸半次郎(さげはし)    組合史P474
23       板垣清平  糸商、いせもく  
24       有志者四名  ーー  
25     殖蓮村  下城弥一郎  織物組合長歴任  
26     境町  永井貞二  県会議員  
27     剛志村  有志者七名  ーー  
28   那波郡  玉村町  島田重作  県会議員  
29   名和村  高橋敏太郎  名和村長
明治36年~39年
 名和村郷土誌
P81
30       大和信一郎  名和青年会で廃娼運動  市史P250
31       大久保秀之助  不明  
32       高橋主一郎  不明  
33       西村右東  名和村長
明治24年~28年
 名和村郷土誌
P80

 参考・引用図書
   伊勢崎織物同業組合史 昭和6年   伊勢崎織物同業組合
   名和村郷土誌     昭和61年  伊勢崎市郷土文化協会
   市街地の民俗     昭和61年  伊勢崎市
   伊勢崎市史 近現代  平成3年   伊勢崎市
   手島仁氏講演会資料  平成28年