伊勢崎銘仙アーカイブス

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 牛久保海平物語




  牛久保 海平(うしくぼ かいへい)
    明治38年(1905)~平成11年(1999)94歳

   日露戦争で勝利した明治38年に
   佐波郡豊受村長沼(現 伊勢崎市長沼町)誕生
   松本宏洞により海平と命名する
   (日露戦争の終結で日本和になった)





牛久保海平



 伊勢崎の機屋からスタートしたサンデン株式会社
 創業者の牛久保海平氏は晩年に
 伊勢崎商工会議所の会頭を12年間務められた
 (在任期間 昭和59年~平成8年 年齢 79歳~91歳)
 管理人は縁が有りその間牛久保会頭に仕えてきました
 氏の出張で国内はもとより海外へも同行させて戴いた
 氏はよく昔の機屋時代のことを懐かしく話されました
 牛久保海平氏が機屋時代に学んだ経営とは何だったのか







  平成6年10月伊勢崎市内のホテルにおいてある座談会が開催され
 牛久保海平氏(その時89歳)は亡くなられた友人の自分史(回顧録)を読まれ
 自分も作成すると宣言した
  その話はとんとん拍子に進み、平成7年に上毛新聞に35回にわたり回想録を
 掲載し、平成8年には「海平(うみおだやか)なり」牛久保海平氏の回顧録が
 上毛新聞社から発行された     伊勢崎市図書館にて貸出可能






  平成6年(1994)7月
  いせさき七夕まつりで審査員
  を務める牛久保海平氏

 氏のカメラでミスひまわりと撮影
 写真は後ほど氏から頂いた
    (撮影者 管理人)




   ミスひまわりが着る着物はシルクウールの単衣(伊勢崎織物工業組合より寄贈)


 サンデン㈱の原点は伊勢崎織物にあり


 サンデン(株)の創業者牛久保海平氏は大正12年(18歳)から昭和18年(38歳)まで
 20年間板締めの染色業と機屋をされていた















  一 サンデン(株)の創業の精神「知を以て開き 和を以て豊に」
    「知を以て開き」は伊勢崎産地は多くの機屋が競って新商品開発を行っていた
    「和を以て豊かに」ではみんなの力で合わせ繁栄しようという意味です
     機屋は一人では何もできない関連業者が有って成り立つ
    氏は「人たらし」で「人の心を掴み、誰からも好かれる人」これも機屋の条件である

  二 伊勢崎銘仙は「呉服流通機構」で大量に生産した銘仙を販売できた
    人口の多い東京、名古屋、大阪、京都の「四大集散地」を抑えたからである
    サンデン(株)は営業の拠点を東京へ移し、主要都市に営業所を開設した


 牛久保海平氏のすごいところ

 
1、前中を蹴って高商へ入学した
2、伊勢崎織物の海外輸出を図った
3、三共電器㈱を3人で設立し
  分裂することなく続いた
4、戦後、銀行の勧める織物業を再開せず
  ポスト織物に挑んだ
5、サンデン(株)を日本を代表する企業に
  育てた
6、中国友好都市馬鞍山市政府幹部を前に
  「人間の幸せとは」をスピーチした
7、叙勲を2度されている
8、伊勢崎市名誉市民、群馬県名誉県民受章




 写真は 平成元年(1989)5月
 伊勢崎市の友好都市 中国馬鞍山市 李白記念館にて
 左から 伊勢崎市長 下城雄索、馬鞍山市長 周玉徳、市議長 梅堀久雄、
 伊勢崎商工会議所会頭 牛久保海平   (撮影者 管理人)


 

 私(管理人)が牛久保海平氏から学んだこと

  1、氏は良く「気」を論じていた
    景 不景 元 病 何事も「気」の持ちようであると述べられた

  2、「ケセラセラ」
    サンデン(株)をここまで成長に至るには並々ならぬ苦労が有った(当然)わけで
    氏はその都度最善を尽くすが、後はくよくよせず「ケセラセラ」と言われた
    「ケセラセラ」「なるようになる」のスペイン語

  3、私が前橋市内で開催された「マルチメディア」のセミナーを受講したら90歳を超え
    た牛久保海平氏も受講されていた・・・何時までも勉学を惜しまない


    

  平成3年(1991)2月 伊勢崎商工会議所の
 親睦旅行で千葉県へ
 左から           牛久保海平氏
 伊勢崎織物協同組合理事長  田村直之氏
 伊勢崎絣染色業      故茂木快教氏
 下島織物(株)      故渡辺延次氏



 伊勢崎銘仙の話をしていたのでしようか


 牛久保海平氏の略歴 

 とき できごと 
1905
明治38年7月
 創業者の牛久保海平生まれる
父(鋭)は伯父(格次郎)と織物染色業を営んでいた
格次郎はドイツ製の化学染料にいち早く取り組み品質の良い製品を
市場に出し評価を得ていた
 1917
大正6年4月 
前中(現 県立前橋高等学校)と高商(現 県立高崎商業高校)に合格
するが、高商に入学する        
 1922
大正11年4月
 伊勢崎工業学校・染色科に入学し一年間学ぶ
 1923
大正12年4月
(18歳)
 家業の染色業に従事
自転車で機業(織元)回りをする
 1927
昭和 2年
 染色業に加え織物部を設け、織子の獲得に奔走する
機械織機導入し広巾織物を製造、満州・朝鮮・インド等へ輸出
 1943
昭和18年5月
(38歳)
 軍事物資調達を目的に企業整備令が発令し、
牛久保織物は伊勢崎織
物組合に廃業を通告
昭和18年7月  弟の牛久保守司、境町で機業をしていて廃業した天田鷲之助の三人
で共に力を合わせて会社を発展させようと三共電器㈱を設立し、
ンデンサーを製造する
 1945
昭和20年9月
 安田銀行伊勢崎支店に融資の相談に行くが、当時の支店長より織物
をやるのであれば融資するが他の商売では融資出来ないと断られる
昭和20年11月  東京に商圏を拡大する目的で東京営業所を設置する
この考えは伊勢崎銘仙が日本中に広まったのは四大集散地
(東京・
名古屋・京都・大阪)を押さえたからと分析
 1947
昭和22年
 伊勢崎市議会議員に当選4年務める
1973
昭和48年8月 
 東証1部上場
1982
昭和57年10月 
 サンデン(株)に商号変更
 1976
昭和51年
 勲五等双光旭日章を受ける
 1984
昭和59年7月
(79歳)
 伊勢崎商工会議所・会頭就任
 1985
昭和60年
 勲三等旭日中綬章を受ける(再叙勲)
 1996
平成8年7月
(91歳)
 伊勢崎商工会議所・会頭退任
 1999
平成11年11月
(94歳)
 逝去(94歳)
12月15日伊勢崎市名誉市民の称号受章
 2000
平成12年11月
 群馬県名誉県民受章
 2003
平成15年4月
 サンデン㈱の創業者三人の一人天田鷲之助逝去(92歳)
 2010
平成22年7月
 サンデン㈱の創業者三人の一人牛久保守司逝去(96歳)
 2015
平成27年4月
 サンデンホールディングス(株)に商号変更


 


 サンデンホールディングス株式会社については下記を参考にされたい






    サンデンの挑戦 世界へ未来へ
    日本工業新聞社 1988
    岸田鉄也著
    四六版 P254
    定価 不明 関係先に配布
    伊勢崎市立図書館、群馬県立図書館で閲覧可能
    古本で購入可能
    











   会社の「品質」
    日科技連出版社 2012
    牛久保雅美著  定価2,400+税
    伊勢崎市立図書館、群馬県立図書館で閲覧可能
    古本で購入可能










  ホームページはサンデンホールディングス株式会社
  関連NPOはNPO産業観光学習館




 管理人の備忘録

  牛久保海平氏を永く長男と思っていた
     上毛新聞社発行 「海平なり」のP199に長男と記載されているが
     日科技連出版社 会社の「品質」のP54に牛久保海平氏には兄の博がいたが
     一歳で亡くなり そのため長男同様に育てられたとある