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| 12月27日 | 吉澤 弥彦 よしざわ やひこ |
93歳 | 有限会社 吉沢整理 社長 伊勢崎織物協同組合 理事歴任 伊工はたち会 昭和20年3月 伊勢崎工業高校卒の同窓会メンバー ライオンズクラブ ガバナー歴任 |
織物整理業は機屋から検反の終えた生機を受け入れ、織物の最終加工を行う
種々な機械と熟練の技で生機に最後の化粧を施し、美観を増し感触を良くし商品
価値を高める最終工程である

伊勢崎産地の織物整理業として
最後の一軒だった有限会社吉沢整理
整理業だけあって庭木の手入れは
常に行き届いている
織物整理工場は種々な設備装置、機械を使用しそれなりのスペースの工場が必要となる
また、それらの機械装置を扱う従業員も雇用しなければならない
昭和49年(1974)に整理工場は5社が存在し平均従業員数は25名であり、伊勢
崎織物業界としては大きい規模であった
織物整理業発達の経緯(伊勢崎織物同業組合史P376より抜粋)
伊勢崎太織の時代には生機での取引であったが、
一部には湿緯糸織法(しめしよこいとおりほう)が行われた
緯糸に濃厚なる糊付張りをし、水巻きをしながら織り込み、織前棒に巻取るあたり更に
霧吹機で布全体に湿りを与え、手にて幅引きしながら巻き取る
織上げた後、其のまま乾燥させると緯糸の糊が経糸に結着し、織物に糊引張りをしたの
と同じ結果が得られる
更に霧吹器で湿しながら一定尺に畳み上げ、万力の間に積み込み数日間強烈な圧力を加
え置くと整理仕上げと同じ結果が得られる
明治17年の頃、輸出羽二重の整理は伊勢崎産地では整理が出来ず桐生産地に整理を委
託した
明治45年頃より伊勢崎産地に力織機が導入され生産増加に伴い設備の整った工場での
整理仕上の必要が生じ、株式組織の模範工場染織整理株式会社を群馬県工業試験場を譲り
受け、機械的織物整理に必要なテンター、タンブル、霧糊吹機、下巻機を備え大正2年
8月より開始、これと前後し個人経営の整理工場を飯塚悦蔵、佐々木三郎氏等が開始し
その後、整理工場が増加した


