伊勢崎銘仙アーカイブス
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 飯玉神社(いいだまじんじゃ) 作成中


  利根川
  那波城
  例幣使街道
  飯玉神社
  今井町 今昔
  銘仙産地 名和村


  令和6年7月 速報



 境内神社(けいだいじんじゃ)
 八坂神社(やさか じんじゃ)の
 夏祭り 7月24・25日
 大祓(おおはらい)
 茅(ち)の輪くぐり
 無病息災 除災招福









 境内神社 八坂神社の横に
 角丸(かどまる)長方形の「茅の輪」










「茅の輪」の手前にくぐり方が説明されている
1,ことしは人形代(ひとかたしろ)を持ち
  茅の輪に左足より入り、八の字に三回くり
  かえします。
1,次に頭より足先までていねいに人形代を
  なでて下さい。
  持病のある方は、患部を良くなでて下さい。
1,最後に人形代を口元に持って来て、ゆっくり
  ひとふき息をふくかけて下さい。





















 本殿
 建造 天保四年
  (1833)











   
   



 飯玉神社(いいだま じんじゃ)

  鎮座地 伊勢崎市堀口町472番地
      名和村のランドマークである
      飯玉を冠した地名が、堀口村の小字に3カ所ある 飯玉北、飯玉西、飯玉東。
      神社の周囲は、名和村の官庁街で西隣には名和村役場、駐在所、小学校、
      教員住宅等が在った・・・現在も一部は残っている。

  祭神 主祭神(主として祀られる神)
       宇気母智命(うけもちのみこと 保食命の別名)
       大国魂命(おおくにたまみこと)
     配祭神(主祭神のほかに、他の神を祀る)
       日本武命(やまとたけるみこと)
       火産霊命(ほむすびみこと)
       大日孁命(おおひるめみこと)
       菅原道真命(すがわらみちざねみこと)

  境内神社(神社の管理下にある境内の小規模神社)
     八坂神社
     春日神社
     諏訪神社
     住吉神社
     日枝神社(ひえ)
     八幡宮
     富士嶽神社(ふじたけ)
     太子神社(たいし)
     疱瘡神社(ほうそう)
     琴平神社
     十寸穂稲荷神社(ますほ)
     国笹稲荷神社
     水無神社(みなし)


  年中行事 
 月 日  行事名  
  1月 1日  元旦祭  俗に「初詣で」
  2月 節分  節分追儺式  追儺(ついな)鬼払い
  4月 3日  春季例祭  俗に「春祭り」
  6月30日  大祓式  おおはらえしき 
  7月24日  厄神祭  やくじんさい 厄払いの神 境内末社八坂神社の祭
俗に「夏祭り」「茅(ち)の輪くぐり」
 10月17日  秋季例大祭  俗に「秋祭り」
  *別1  神集祭  かみつどいさい ムギマキゴジンジ
 12月31日  大祓式  おおはらえしき
     *別1 旧暦10月末の午の日より11月初めの午の日まで満12日間



 定本 伊勢崎風土記 (江戸時代中後期)

 飯玉社
 堀口村に在り。廟令中根氏。神田三反壱畝十二歩
 寛平元年己西国司中将始めて之れを建つ。 応仁戦国以来田園荒蕪し、百姓業を困しむ。
 那波の主、之れを憂いて、飯玉、飯福九十九祠を封内に分祀して、福を祈る。
 飯玉、飯福共に保食神を祀る所、五穀及び蚕の祖神たるなり。此の社惣本社たり。
 特に堀口城下に在り。故に城主之れを崇敬し、奠供祭祀は他祠に異なるなり。爾来世領主
 修理を加う。宝暦以来罷む。毎年九月祭祀す。傍社に諏訪祀、八郎祀、伊勢宮、秋葉祀、
 痘瘡神祀有り。

 堀口村に在り、廟令(現 神主)中根氏。
 神田(しんでん 神社の運営経費にあてる社領)を三反壱畝十二歩
 寛平(かんぴょう)元年己西(西暦889年)に国司の中将が始めてこの地に当社を建つ
 応仁の乱(1467~1477)以来田園は荒れ果て百姓は仕事に困った。
 那波氏は之を憂いて、封内(ほうない 領地)に当社を本社として末社(まっしゃ)の飯玉、
 飯福神社を九十九社を分祀(ぶんし 本社と同じ祭神を新しい神社に祀(まつ)る)して福
 を祈った。末社である飯玉神社と飯福神社は供に保食神(うけもちのかみ)を祀る所で、
 五穀及び蚕の祖神(おやがみ そじん)で此の社が惣本社である。特に堀口城(那波城)下
 に在って、故に城主之れを崇敬し、奠供祭祀(てんく さいし 御そなえ物を供えて神を祀る)
 は他祠(ほこら)に異なり。爾来(その後)世(よよ 代々)城主は修理を加う。
 宝暦(ほうれき 1751~1764)以来罷(まか やめる)る。
 毎年九月祭祀をおこなう。傍社(ぼうしゃ? 神社の一部で本殿や拝殿とは別に祀られている
 小さな社)
に諏訪祀、八郎祀、伊勢宮、秋葉祀、痘瘡神祀有り。




 佐波郡 名和村郷土誌(明治43年6月)

  群馬県上野国那波郡堀口村字飯玉西 村社 飯玉神社
  一、祭神 保食命
  一、由緒
 社伝曰寛平元己西年(八八九)国司室町中将創建ス、爾来慶仁戦国以来
 田園荒蕪百姓産業ニ困惑スル久シ、故ニ那波氏之ヲ憂ヒ飯玉神社ヲ封内九拾九所ニ分祀ス。
 該社ハ往昔ヨリ境内ノ外神田三段壱畝拾弐歩、神主宅地三段歩累世免税トナル。
 明治三 午年右神田宅トモ上地ス、社殿モ年来領主ノ修理スル処トナル。旧領主酒井家ニ
 至ツテモ宝暦年間迄修理ス、後氏子ノ営繕トナル。

  一、社殿間数本社 間口壱間三尺 奥行壱間
    拝殿     間口三間三尺 奥行弐間
  一、境内坪数   千〇九拾坪 官有地第一種



























 佐波郡 名和村郷土誌(明治43年6月)

 村社 飯玉神社祭典儀式
  一、午前拾時社殿に祭官并氏子一同参集
   一、次 清秡式行事執行 此間奏楽   *清秡式(きよはらいしき 神を迎える準備)
   一、次 祭主進んで御扉を開く
   一、次 神饌長及神饌掛神饌を献ず   *神饌(しんせん みけ 神様に供える供物)
   一、次 神饌幣帛料供進(明治四十二年より)仝前
          *神饌幣帛料供進使(しんせんへいはくりょうきょうしんし
                    県知事から村社に供進の使)
   一、次 神饌幣帛料供進使供進文奉読
   一、次 祭主進んで祭詞奉読
   一、次 祭主及供進使外一同玉串を献ず 此間奏楽
   一、次 祭主進んで御分霊を神輿に遷す 此間奏楽
   一、次 同日午後二時より御輿神馬御巡幸(大字堀口町 大字中町)
   一、次 祭主御分霊を神輿より御本殿に遷す 此間間奏
   一、次 神饌を撤す 此間奏楽
   一、次 祭主進んで御扉を閉ず
   一、次 直会式(神酒を一同に授与す)
   一、次 参列者一同拍手して了る




 御鎮座 千四百四十五年記念碑

 創建安閑天皇元年 丹波国笹山より奉還
 上武両国九十九社 飯玉飯福分祠す

  「赤石の林に実る
   伊賀栗を、いつか落して
         勝栗にせん」

  城主 従五位下 那波宗俊 祈願之句

      社家四十八代 神主二十代
      宮司 中根重邦
      神主   重久
           重義
       昭和五十四年 秋 建立








   本庄県道沿いに巨大な蛙が
   令和元年に寄進された












   親蛙の背に子蛙が五匹も











 茅(ち)の輪くぐり  7月24日 午後4時
   昭和16年までは6月30日の大祓式(おおはらえしき)で行われていたが
  現在は境内末社八坂神社の祭り「厄神祭(やくじんさい)」で行われる
   茅で編んだ直径数メートルの輪をくぐり、心身を清め悪魔払い、無病息災を祈念する
  夏越え祓(はらい)の行事


 秋季例大祭(俗に 秋祭り 花馬の祭り)10月17日
   昭和30年からは10月19日 現在は隔年

   前日が宵祭り 町内ごとに集まり灯篭(とうろう)を作り立てた
  当日は「御神幸(ごしんこう)」で神馬(しんめ)、神輿(みこし)、花馬(はなんば)
  等が堀口村と中町を巡行した


 ムギマキゴジンジ

  神集祭(かみつどいさい)・麦播神事
 旧暦10月末の午の日より11月初めの午の日まで満12日間

  神無月(旧暦10月)は全国の神様は出雲大社にお出かけになり、10月末日にお帰りに
 なるが、飯玉神社の神様は上州と武蔵の神様を同伴し一足お先に帰り飯玉神社で会合を持ち
 国土の安全と農産業の発展を話し合います。
  12日間は境内を注連縄(しめなわ)で閉鎖し人馬の出入りを結界します。
 麦播きに時期で、麦の豊作を祈願した行事である。






 飯玉神社の西隣に在る
 「伊勢崎名和郵便局」
 神社をイメージしたデザインである
 元 名和村役場があった場所






 参考・引用文献

  定本 伊勢崎風土記  寛政10年(1798) 関重嶷(せきしげたか)著
             訳文 篠木弘明 平成6年10月1日 俳山亭文庫

  佐波郡 名和村郷土誌 明治42年9月25日 群馬県訓令第60号による 明治43年6月
             復刻版 昭和61年(1986) 伊勢崎郷土文化協会

  伊勢崎の社寺建築   昭和58年(1983)12月 伊勢崎市

  令和の御大典奉祝記念 伊勢崎佐波の神社誌
             令和2年(2020)10月 群馬県神社庁伊勢崎佐波支部