伊勢崎銘仙アーカイブス
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 城址碑だけが語る

 那波城(なわじょう) Nawa-castle




  明治22年(1889) 町村制施行により、周辺10村が合併し那波郡名和村が成立
  明治29年(1896) 郡統合(佐位郡と那波郡の統合)により佐波郡に属する
  昭和30年(1955) 豊受村、宮郷村とともに伊勢崎市へ編入される。

 昭和30年以降 町名 ふりがな   明治10年頃  町名の由来等 諸説あり
 韮塚町  にらづか まち  韮塚村  韮束、丹良塚
 阿弥大寺町  あみだいじ まち  阿弥大寺村  阿弥陀寺
 今井町  いまい ちょう  北今井村  今居
 山王町  さんのう ちょう  山王道村  日枝神社の山王信仰
 堀口町  ほりぐち まち  堀口村  新田の堀口氏? 用水路の取水口?
 中町  なか まち  中町  柴町と堀口の中間
 柴町  しば まち  柴町  利根河原の芝地
 戸谷塚町  とやづか まち  戸谷塚村  幕府直轄領(維新当時)天領
 福島町  ふくじま まち  下福島村  福島は湿地を言う
 八斗島町  やったじま まち  八斗島村  槐(げ)島を境野八斗兵衛が開く


      那波城概念図




 城 名 那波城 (別名 堀口城)
 所在地 伊勢崎市堀口町(ほりぐちまち)
 構 造 平城
 築城年 建久年間(1190~99)
 築城者 那波宗俊(なわ むねとし)
 廃城年 慶長6年(1601)











 規模
  東西 340m
  南北 500m
 位置
  南西の角 本庄県道 堀口町交差点(堀口町342)
  南東の角 例幣使道 昌雲寺(堀口町665)
  北西の角 本庄県道 飯玉神社の北(堀口町100)


 貨幣出土 上記の図 右側(城東)中央

   明治18年(1885)10月24日瓦製造人の田部井善蔵が堀口村字出口434番
  の畑(伊舟城済 所有)を掘っていたら、風呂桶大の堅固な樽が2個出土し、中に古銭が
  沢山入っていた。
   悉(ことごと)く一厘(りん 円の1000分の1)銭にして時価弐百円、是れ昔
   那波城主戦死の際に投じたものと云われる。銭は悉く支那国の通貨にて50種あり。

 出土した古銭(一部)の種類と年代
  北宗(ほくそう 960~1126)
   咸平元宝(かんぺいげんぽう)998年、治平通宝(じへいつうほう)1064年
   熙寧元宝(きねいげんぽう)1068年、
  南宋(なんそう 1127~1279)
   慶元通宝(けいげんつうほう)1195年、紹定通宝(しょうていつうほう)1228年
  明(みん 1368~1644)
   洪武通宝(こうぶつうほう)1368年、永楽通宝(えいらくつうほう)1411年

      *出処 佐波郡名和郷土誌 第二編 第三章 郷土ノ沿革 第二節


 大正3年に耕地整理で良田と化す

  城址は近年迄外濠(そとぼり)、内濠(うちぼり)、兵糧庫(ひょうりょうこ)、本城、
  出城等の跡淋しく存在し昔の風情を偲ばしめたが大正3年(1914)耕地整理施行の
  為全部を取崩して今は良田と化した

      *出処 群馬県佐波郡誌(復刻版)後編 第十二章 名和村




 那波城址碑(なわじょうしひ)
     設置場所 伊勢崎市立名和小学校 伊勢崎市堀口町502番地1
          校庭の東側で本庄県道より見える

   
   
   



 説明板
   那波城址碑(なわじょうしひ)

 昭和九年(1934)十一月七日、
  当時の名和村長青木周次郎が中心に
  なって、那波城址を永遠に記念する
  ために建てられました。
   表面の文字は、徳富蘇峰(評論家・
  歴史家)、撰文は、東京帝国大学(現在
  の東京大学)の文学博士、中村孝也、
  執筆は、豊道慶中です。裏面の碑文に
  は、大江姓那波氏が、鎌倉時代から戦国
  時代まで活躍した歴史が刻まれて
  います。
   なお、本丸はこの碑よりも東に所
  在したといわれています。

       平成十七年三月
       例幣使道まちづくり会議
題字の書
 徳富蘇峰(とくとみ そほう)
 表面の筆名は
 蘇峰菅原正敬(すがわら しょうけい)
 徳富蘆花は実弟

撰文
 中村孝也(なかむら こうや)
 高崎市出身、東京帝国大学教授

執筆
 豊道慶中(ぶんどう けいちゅう)
 春海(しゅんかい) 僧、書家

設置者
  青木(旧姓 大和)周次郎
  (あおき しゅうじろう)
  名和村大字山王道1,034
  明治7年生 廃娼運動
  大正13年 名和村長 初回
  昭和3年~12年 名和村長




 裏面の碑文(碑陰)

  那波氏(なわし)は遠く平城天皇(へいぜい てんのう)の皇子(こうし)
  阿保親王(あぼ しんのう)より出つ本姓(ほんせい)は大江氏(おおえうじ)なり
  鎌倉時代の初め政廣(大江政広 おおえ の まさひろ)上野國(こうずけのくに)那波莊
  (なわそう)を領し那波氏を称す子孫塁葉(るいよう 代々)常に此處(ここ)に在り
  初め小泉(現 柴町の西 利根川により没)に住し 後 堀口(現 伊勢崎市堀口町)に移り
  又 今村 (現 稲荷町)力丸 (前橋市力丸町)等に城塁(じょうるい)を築く
  戦国時代に至り那波宗俊 (なわ むねとし)赤石城(後の伊勢崎城)に移りて勢を振ひ
  関東管領 (かんとうかんれい)上杉顕定(うえすぎ あきさだ)に属し北条氏と戦つて
  功あり 後 上杉輝虎(うえすぎ てるとら)に従ひ金山城(現 太田市)主 由良成繁
  (ゆら なりひげ)と戦つて斃(たお)る 其子(そのこ)顕宗(あきむね) 上杉景勝
  (うえすぎ かげかつ)に従ひ天正十九年(1591)陸奥(岩手県)九戸の戦に死し
  那波氏茲(ここ)に亡ぶ 那波城址は明治維新の後尚依然として田畦(でんぽ)の間に
  存し濠(ほり)塁(とりで)の形迹歴々指黙するを得しか歳月を重ぬるに随ひ全く
  舊態(旧態)を失ひ今は纔(僅)に地名に依つて古を揣摩(しま)するあるのみ。
  村民有志其終に消滅に歸せんことを惜み相謀りて記念碑を建て以て其の遺跡を明かにす
  庶幾(こいねが)くは之に依りて郷土の史蹟を顕彰し人をして報本反始(ほうほんはんし)
  の至情を新たにせしめんことを聊(いささ)か来由(らいゆう)を碑陰に刻して永く
  後昆(こうこん)に傳ふ

       昭和八年十一月 東京帝国大学史学編集官 文学博士 中村孝也 撰
               東京               豊道慶中 書





 那波城址 本丸跡(なわじょうし ほんまるあと)
     設置場所 伊勢崎市立名和幼稚園(伊勢崎市堀口町260番地)の南
          個人所有の畑の端
          堀口町 町田謙一氏の自費建立




 碑文(表)南側

   那波城址 本丸跡
           謙一書















 碑陰(裏)北側

 此処に城ありき
  吾子修にこれを伝う

 昭和五十一年五月吉日
  伊勢崎市堀口町
   町田謙一
     キミ子
    本町 井田石材店刻

  かってここに城が在った
  吾子(ごし あなた)が身に付ける
  よう これを伝える

  町田謙一(大正十一年生)








 今村城(いまむらじょう)

   那波顕宗(あきむね)の代には、今村城は力丸城(前橋市力丸町)と共に那波城の
  支城として機能した


 城 名 今村城 (別名 稲荷山城)
 所在地 伊勢崎市稲荷町
 構 造 平城(古墳を利用)
 築城年 元暦元年(1184)
 築城者 那波太郎広澄
 廃城年 

 石 標 稲荷町の竹内某氏が昭和41年に建立





今村城址(明治43年稿)

 大字今村字城にあり東西五十五間、南北五十五間ありて周囲の平地
 より高きこと一丈許、城濠は城地の土を崩して填(うず)め、現時
 水田となりせり、故に当時の形状は今之を知るを得ざれども、高所
 は竹藪となし民有地となりれり。

  *出処 佐波郡宮郷郷土誌
      第二編 第三章 郷土ノ沿革






















       伊勢崎市指定史跡 今村城跡(いまむらじょうあと)
                    昭和41年(1966)4月12日指定

  今村城は、戦国時代に佐位、那波の両郡を領有した那波氏の居城の一つで、城郭は韮川
 の蛇行地点に北西に、東西南北約400mの範囲に縄張されたものです。本丸は台地を利用
 して三角状に築かれ、これを中心に輪郭式に諸郭が囲むものとなっていました。
 そして本丸の三隅には古墳を利用した櫓台があったと伝えられています。伊勢崎風土記に
 よれば、那波宗俊が築城したものと伝え、天正期に一時、上杉勢の金山城攻撃の拠点と
 なりました。耕地整理以前は土囲いや堀跡などが確認できましたが、現在は本丸跡のみが
 わずかにその痕跡を残しています。現存する城郭遺構の少ない中世平城遺構として、大変
 貴重なものとなっています。
                     平成2年3月15日
                         伊勢崎市教育委員会


 町名の変遷

 江戸時代  上野国那波郡今村  
 寛文 2年(1662)     那波郡上今村・中今村・下今村  三つの村に分かれる
 明治 4年(1871)     那波郡今村  一つの村に戻る
 明治22年(1889)  群馬県那波郡宮郷村大字今  町村制施行で那波郡宮郷村が成立
 明治29年(1896)     佐波郡宮郷村大字今  佐位郡と那波郡が統合し佐波郡
 昭和30年(1955)     伊勢崎市稲荷町  宮郷村が伊勢崎市に合併






 参考・引用文献

  定本 伊勢崎風土記  寛政10年(1798) 関重嶷(せきしげたか)著
             訳文 篠木弘明 平成6年10月1日 俳山亭文庫

  佐波郡 名和村郷土誌 明治42年9月25日 群馬県訓令第60号による 明治43年6月
             復刻版 昭和61年(1986) 伊勢崎郷土文化協会
             P105、114~、126~

  佐波郡 宮郷村郷土誌 明治42年9月25日 群馬県訓令第60号による 明治43年稿
             復刻版 昭和62年(1987) 伊勢崎郷土文化協会
             P87~90 第二編 第三章 郷土ノ沿革

  名和村郷土誌     昭和11年2月 名和尋常高等小学校
             第三項 郷土の歴史

  宮郷村誌       昭和11年2月 復刻版 平成3年(1991)

  群馬県佐波郡誌    大正12年(1923)3月 佐波郡役所 編集
             復刻版 平成14年(2002)11月 第3版 (株)千秋社

  名和小百年      昭和54年(1979)11月 名和小百年誌編集委員会編

  ふるさと那波     平成12年(2000)3月 那波郷土史研究会