氏名 | 職業 | 生没年 | 経歴 |
石川泰三 いしかわ たいぞう |
政治家 | 1853 嘉永6 ~ 1943 昭和18 |
石川泰三物語のサイト |
膳桂之助 ぜん けいのすけ |
政治家 実業家 官僚 |
1887 明治20 ~ 1951 昭和26 |
伊勢崎町字新町 薬舗膳浅次郎の四男として生まれる 前中退学、東大卒 日本団体生命保険(現 アクサ生命) 設立し社長 国務大臣 経済安定本部総務長官を歴任 前橋市粕川町の「膳城」を買取り県に寄付(末裔) *膳桂之助追想録 日本団体生命出版 1959 |
中山恭子 なかやまきょうこ |
政治家 官僚 |
1940 昭和15 ~現在 |
伊勢崎市立南小、南中、前女、東大卒 大蔵省入省 女性初の本省課長・財務局長・審議官 2007参議院議員、拉致問題担当大臣等を歴任、 2019政界引退 |
石原信雄 いしはら のぶお |
官僚 | 1926 大正15 ~ 2023 令和5 |
境町出身 旧制太田中、東大卒 自治省事務次官 官房副長官 1995東京都知事戦で青島幸男に敗退 平成の市町村合併に尽力 伊勢崎市名誉市民 |
町田とく まちだ とく |
政治家 実業家 |
1887 明治20 ~ 1950 昭和25 |
町田佳聲の義姉 夫 傳七の逝去後、家業の醤油製造 業を経営、群馬県女性初県議会議員、1947カスリン 台風の際には復興に尽力した |
細野次郎 ほその じろう |
政治家 | 1862 文久2 ~ 1916 大正5 |
伊勢崎町に生まれる 商業講習所 商科大学で学ぶ 県議会議員、衆議院議員 伊勢崎に上毛撚糸(株)・群馬商業銀行・工業学校・ 工業試験場の設立に尽力 華蔵寺公園に頌徳碑が建立されている |
野村藤太 のむら とうた |
政治家 実業家 |
1848 嘉永元年 ~ 1910 明治43 |
日本橋に「めいせんや」を開業 群馬県会議員 野村藤太物語のサイト |
五十嵐吉蔵 いがらしきちぞう |
政治家 | 1901 明治34 ~ 1959 昭和34 |
衆議院議員 家訓「権門に媚びず 金門に下らず」 五十嵐吉蔵家譜のサイト |
久保田円次 くぼた えんじ |
政治家 | 1903 明治36 ~ 1998 平成10 |
足利工業学校卒、兄の茂一郎と久保田兄弟鉄工所を 設立、市会議員・県会議員・衆議院議員 1979防衛庁長官に就任するが3ヶ月で辞任 伊勢崎市名誉市民 |
岡崎浩巳 おかざき ひろみ |
官僚 | 1953 昭和28 ~現在 |
伊勢崎市に生まれる 昭和47前高卒、 昭和51 東大法学部卒 総務省事務次官 嵐の櫻井翔の父親桜井俊とは前高・東大・総務省と 同年である |
宮崎有敬 みやざき ゆうけい |
政治家 | 1832 天保3 ~ 1895 明治28 |
宮崎有敬物語のサイト 前橋公園に頌徳碑が建立されている |
氏名 | 分野 | 生没年 | 経歴 |
福島泰蔵 ふくしま たいぞう |
日本陸軍 軍人 |
1866 慶応2 ~ 1905 明治38 |
新田郡世良田村(現 境平塚)で養蚕業を営む家に 生まれる 明治35年1月弘前歩兵 第31連隊の中隊長として 八甲田山雪中行軍を成功させた人物として知られる 明治38年に日露戦争で壮烈な戦死 八甲田山雪中行軍は新田次郎による小説や映画化され 「リーダーシップ論」として知られる |
国定忠治 くにさだ ちゅうじ |
侠客 | 1810 文化7 ~ 1850 嘉永3年 |
佐位郡国定村に生まれる 僭称は長岡 名は忠次郎 父の家業は養蚕農家で糸繭商を兼ねる 博徒 「強きをくじき、弱きを助ける」侠客として 講談(宝井馬琴)、歌舞伎(尾上菊五郎)、八木節 映画(片岡千恵蔵)、芝居(北島三郎)、浪曲、 東海林太郎の「赤城の子守唄」で知られる 上毛かるたで「雷と空風義理人情」と詠まれる 萩原朔太郎が前橋から自転車に乗り国定村で 詩「国定忠治の墓」を詠む 国定忠治の名は広辞苑に載る |
氏名 | 職業 | 生没年 | 経歴 |
清水紀枝 しみず のりえ |
PD | 1973 昭和48 ~現在 |
伊勢崎生まれる 伊女高(現 伊勢崎清明高) 関東学院大卒 平成8年にハウフルス入社 平成19年「秘密のケンミンSHOW」の放送 開始時からプロデューサーを担当 |
相沢礼子 あいざわ れいこ |
タレント | 1980 昭和55 ~現在 |
伊勢崎市波志江町に生まれる 伊女、新島短大、 編入し玉川大学卒、アナウンサー 2003ミス日本グランプリ受賞 |
松本典子 まつもと のりこ |
アイドル 歌手 |
1968 昭和43 ~現在 |
伊勢崎市今泉町 旧制佐藤 本名 笘篠美和子 共愛高校入学16歳でデビュー 志村けんの番組にレギュラー出演 |
小島和也 こじま かずや |
バンド | 1984 昭和59 ~現在 |
back number(バックナンバー) ベース、コーラス 伊勢崎工業高等学校中退 |
栗原寿 くりはら ひさし |
バンド | 1985 昭和60 ~現在 |
back number(バックナンバー) ドラマー 伊勢崎工業高等学校、群馬医療福祉大学卒 女優 川村ゆきえと結婚 |
塩崎啓示 しおざき けいじ |
バンド | 1981 昭和56 ~現在 |
LACCO TOWER(ラッコタワー) ベース 群馬テレビ「ニュースeye8」ED曲 |
重田雅俊 しげた まさとし |
バンド | 1981 昭和56 ~現在 |
LACCO TOWER(ラッコタワー) ドラム 群馬テレビ「ニュースeye8」ED曲 |
真一ジェット 細谷真一 ほそや しんいち |
バンド | 1981 昭和56 ~現在 |
LACCO TOWER(ラッコタワー) キーボード 群馬テレビ「ニュースeye8」ED曲 実家 伊勢崎市波志江町 和菓子「柏屋製菓」 |
柳澤純子 やなぎさわ じゅんこ |
演歌歌手 | 1964 昭和39 ~現在 |
伊勢崎市宮前町に生まれる 1983歌手デビュー SUBARUのCMに「あなたに片思い」が使われた 2010「八ッ場エレジー」をカバー |
天田俊明 あまだ としあき |
俳優 | 1934 昭和9 ~現在 |
昭和28年前橋高等学校卒業 「七人の刑事」「太陽にほえろ!」等に出演 前高の同級生に「サンデン」の牛久保雅美氏が おり「サンデン」のCMにも出演 |
今井清隆 いまい きよたか |
俳優 | 1957 昭和32 ~現在 |
昭和51年(1976)伊勢崎工業高校卒 ミュージカル俳優 劇団四季入団 1991菊田一夫演劇賞(レ・ミゼラブル) |
生形理菜 うぶかた りな |
俳優 | 1988 昭和63 ~現在 |
群馬県立前橋女子高等学校卒 ミュージカル俳優 劇団四季入団 長野千紘とは小・中学校の同級生 |
長野千紘 ながの ちひろ |
俳優 | 1987 昭和62 ~現在 |
大阪芸術大学舞台芸術学科卒業 ミュージカル俳優 劇団四季入団 生形理菜とは小・中学校の同級生 |
矢内雄一郎 やない ゆういちろう |
アナウ ンサー |
1980 昭和55 ~現在 |
三郷小、第三中、県立中央高、東京学芸大卒 テレビ東京のアナウンサー |
古今亭今輔 ここんてい いますけ 鈴木五郎 すずき ごろう |
落語家 | 1898 明治31 ~ 1976 昭和51 |
境町仲町の織物製造業に生まれる 初代三遊亭円右に入門 日本芸術家協会会長に就任 弟子には桂米丸・桂歌丸らがいる |
昭和こいる 庄田太一 しょうだ たいち |
漫才 | 1944 昭和19 ~ 2021 令和3 |
漫才コンビ 昭和のいる・こいる 日本大学芸術学部中退 1966コンビ結成 1976NHK漫才コンクール最優秀賞 漫才協会理事 |
春風亭勢朝 しゅんぷうてい せいちょう 高橋俊人 たかはし としひと |
落語家 | 1962 昭和37 ~現在 |
伊勢崎市南町(現 緑町)に生まれる 群馬県立伊勢崎商業高等学校卒 1979春風亭柳朝に入門 |
柳家つばめ やなぎや つばめ 宮尾正造 みやお しょうぞう |
落語家 | 1884 明治17 ~ 1942 昭和17 |
機織業「宮商」?に生まれる 3代目柳家小さんに弟子入り、大正7年三代目 柳家つばめを襲名 次男が宮尾たか志(漫談家) |
加藤義雄 かとう よしお |
八木節 | 1935 昭和10 ~現在 |
伊勢崎市に生まれる 「上州八木節会」会長 町田佳聲作曲の「伊勢崎小唄、からりこ節」 の普及保存に尽力 平成16年天皇、皇后両陛下とデンマーク女王夫妻 が来県され、群馬県庁において「上州八木節会」 が八木節を演じた キングレコード「日本の民謡 東日本編ベスト」CD |
氏名 | 職業 | 生没年 | 経歴 |
神谷郁代 かみや いくよ |
ピアニスト | 1946 昭和21 ~ 2021 令和3 |
旧伊勢崎女子高(現 伊勢崎清明高)に1年通い 桐朋学園高校に転校、ドイツのエッセン音楽院 に留学、特にベートーヴェンの演奏で知られる |
斎藤茂 さいとう しげる |
芸能評論家 画家 |
1922 大正11 ~ 2000 平成12 |
白水楼 斎藤太七の孫 昭和16年旧制前中卒、 早稲田大学を卒業 平凡出版 現マガジンハウス に勤務し編集長を歴任 画家としても活躍 俳優の加山雄三とはビジネス や絵画を通じての交流があった 前中時代は俳優の小林桂樹と同級生で生涯交際 |
あだち充 あだち みつる 安達充 |
漫画家 | 1951 昭和26 ~現在 |
伊勢崎市今泉町で生まれる 北小、北中、前商卒 1982「タッチ」で一躍人気になる |
小林真理 こばやし まり |
アート ディレクター |
不明 ~現在 |
伊勢崎市今泉町に生まれる (株)スタルカ代表 画家、装幀家、美術ジャーナリスト 主な著書「和のうつわ」平凡社 NHK美の壺「装丁」に出演 |
町田佳聲 まちだ かしょう |
邦楽・民謡 研究家 |
1888 明治21 ~ 1981 昭和56 |
町田佳聲のサイト |
礒部草丘 いそべ そうきゅう |
日本画家 | 1897 明治30 ~ 1967 昭和42 |
礒部草丘のサイト |
森村酉三 もりむら とりぞう |
鋳金工芸家 | 1897 明治30 ~ 1949 昭和24 |
森村酉三のサイト |
田中寿々 たなか すず |
鋳金工芸家 | 1903 昭和36 ~ 2001 平成13 |
旧姓 須賀、大正13年森村酉三と結婚 酉三の逝去後、洋画家 田中佐一郎と再婚 森村酉三のサイト |
金井烏洲 かない うじゅう |
日本画家 |
1796 寛政8 ~ 1857 安政4 |
佐位郡島村に生まれる 本名は時敏 等 烏洲は号 春木南湖、谷文晁に学び 関東南画家の一人として名を成した 江戸時代後期の画家 |
弥勒寺音次郎 みろくじ おとじろう |
宮大工 | 1796 寛政8 ~ 1869 明治2 |
那波郡長沼村に生まれる 佐位郡下渕名村の宮大工の養子となり、後に 弥勒寺姓を名乗る 近郷の社寺造りに力量を発揮し 赤城神社本殿(境平塚)、伊勢崎神社等 その子、音八(おとはち)も彫工として優れ、 茨城県の笠間稲荷本殿等を手がける |
石川久宜 いしかわ ひさのぶ |
スチル 写真家 |
調査中 | 第11代武孫平(武宜教)の弟 大正3年 石川泰三の養嗣子となる 大正12年 前橋中学校卒 小西写真専門学校卒後、日活に入社 日活映画のスチル撮影を担当し 43年間勤務する |
小倉しんこう おぐら しんこう |
音楽 クリエーター |
1980 昭和55 ~ |
伊勢崎三中、平成11年 前高卒、 平成15年 駒澤大学仏教学部卒 JUJUをはじめとする作詞・作曲を手がける |
氏名 | 専門 | 生没年 | 経歴 |
吉沢惟雄 よしざわ これお |
結核治療 県会議員 俳句 |
1885 明治18 ~ 1974 昭和49 |
母は小暮栄三郎(伊勢崎銀行 初代頭取)の三女、 明治37年前中卒、旧制一高、大正元年東京帝国 大学医学部卒、同大にて結核の研究 医学博士 関東大震災で帰郷し三郷村安堀に吉沢医院を開業 昭和17~22年県議会議員、俳号を「広瀬」 広瀬川畔に句碑がある |
高橋孝太郎 たかはしこうたろう |
労働 衛生学 |
1886 明治19 ~ 没年不明 |
12月20日伊勢崎町1065 高橋惣吉の次男として生 明治39年前橋中卒(町田佳聲と同級) 明治44年千葉医専卒、陸軍軍医 兵器工場の 工場衛生を研究 ドイツ ミュンヘン大学へ留学 大正14年大阪帝国大学より医学博士を授与 労働衛生学の先駆者 昭和2年滋養強壮ドリンク「どりこの」を開発 昭和初期に佐波郷友会 共同宿舎の監督をする 田園調布の自宅付近に「どりこの坂」が現存する |
野島美久 のじま よしひさ |
リウマチ 腎臓病 |
1953 昭和28 ~現在 |
伊勢崎市に生まれる 昭和47年前高卒、東大 医学部卒、東大医科学研究所等を歴任し 平成23年群馬大学病院 院長 現在は退官し、高崎市の井上病院に所属 |
栗原克由 くりはら かつよし |
法医学 | 1950 昭和25 ~現在 |
伊勢崎市に生まれる 昭和44年前高卒、 北里大学医学部卒 法医学の第一人者 北里大学医学部教授、平成28年名誉教授 慶応義塾大学医学部で法医学を教える |
松井瑞夫 まつい みずお |
眼科医 | 1930 昭和5年 ~ 2013 平成25 |
昭和22年前高 慶応大学医学部卒 日本大学医学部教授 眼科医 日本眼科学会理事長 日本大学名誉教授 |
氏名 | 会社名 | 生没年 | 経歴 |
土屋裕雅 つちや ひろまさ |
カインズ | 1966 昭和41 ~現在 |
伊勢崎市に土屋嘉雄の長男として生まれる 昭和60年前橋高等学校卒、早稲田大学商学部卒 野村証券に6年勤務後、平成10年カインズ入社 平成14年社長、平成30年会長に就任 年商4,214億円(2019年12月末) |
森村堯太(初代) もりむら ぎょうた |
伊勢崎 銀行 |
1863 文久3 ~ 1923 大正12 |
群馬金融界のリーダー 明治20年 キリスト教入信、後に共愛社社長 明治21年 伊勢崎銀行設立、後に頭取 明治23年 群馬県会議員 銀行のサイト |
森村堯太(二代目) 森村良策 もりむら りょうさく |
群馬銀行 | 1887 明治20 ~ 1952 昭和27 |
森村堯太(初代)の長男 明治39年旧制前橋中学校卒、 明治45年慶応義塾理財科卒 大正12年家督を相続し名前を堯太に改名 群馬銀行(第1次)頭取 前橋共愛女学校理事 銀行のサイト |
牛久保海平 うしくぼ かいへい |
サンデン | 1905 明治38 ~ 1999 平成11 |
機屋から世界のサンデンへ 牛久保海平物語のサイト |
窪田涛三郎 くぼたとうざぶろう |
栗豊 | 1905 明治38 ~ 2001 平成13 |
日本最大の銘仙買継商 窪田涛三郎物語のサイト |
小暮欽一郎 こぐれきんいちろう |
経営コンサ ルタント |
1924 大正13 ~ 1994 平成6 |
大正13年7月 佐波郡三郷村に生まれる 戦後、一時 伊勢崎市役所に勤務 後に群馬銀行に入行 経営相談室長、支店長を 歴任 昭和36年 日本経営士会・経営士登録 昭和44年 経営コンサルタント独立開業 県内の中堅企業を中心に経営指導を行う 伊勢崎商工会議所の商工調停士として企業再建 に尽力 群馬県で初のプロ経営コンサルタント |
徳江八郎 とくえ はちろう |
徳江製糸所 | 1845 弘化2 ~ 1909 明治42 |
佐位郡中島村(現 伊勢崎市境中島)で生まれる 伊勢崎で初の工場制機械工業を経営 徳江八郎物語のサイト |
五十嵐勝弥 いがらし かつや |
光文社 | 1897 明治30 ~ 1975 昭和50 |
佐波郡豊受村に生まれる 豊受小卒後、国民銀行 に就職し頭取の家から通学し中央大学を卒業、 講談社に就職後、昭和20年光文社の設立に 参画 昭和45年社長に就任、カッパブックスシリーズ 「女性自身」等を出版 |
小林桂助 こばやし けいすけ |
貿易商 | 1846 弘化3 ~ 1917 大正7 |
伊勢崎町字西町に生まれる 横浜でハッカの貿易商を営む 小林桂株式会社 時報鐘楼の建設資金を寄付し大正4年に完成 大正12年関東大震災で店・工場を焼失し 本社を横浜から神戸へ移転 小林桂助(2・3代目)は鳥卵の研究者で知 られる |
森村國夫 もりむら くにお |
エバラ 食品工業 |
1919 大正8 ~ 2010 平成22 |
佐波郡剛志村上武士に生まれる 14歳で上京し 次兄 武次郎の会社で働きながら町田報徳学舎の 夜学を卒業 戦後、昭和33年次兄の会社の子会社荏原食品 を任せられる 昭和43年エバラ食品工業 に商号変更 昭和53年「焼肉のたれ 黄金味」で大ヒット |
石原聰一 いしはら そういち |
鐘紡 カネボウ |
1932 昭和7 ~ 2008 平成20 |
佐波郡殖蓮村上植木 石原英治郎の長男 昭和26年群馬県立前橋高等学校卒、 昭和30年慶応義塾大学経済学部 鐘淵紡績入社、昭和48年新町工場長 昭和55年本社人事部長となるが、家業「石英」 を継ぐため退社、石英(株)代表取締役 平成元年カネボウ社長の要請により鐘紡へ再入社 平成6年カネボウ社長に就任、平成8年会長 平成14年群馬県教育委員会委員、後に委員長 |
齋藤尚一 さいとう しょういち |
トヨタ 自動車工業 会長 |
1908 明治41 ~ 1981 昭和56 |
父 吉廣は県立工業学校校長 伊勢崎北小、昭和2年県立前橋中学校卒業、 昭和11年東北帝国大学工学部卒 工学博士 豊田自動織機自動車部入社 トヨタ自動車創業者 豊田喜一郎の国産車開発を 技術者として補佐する 昭和47年~昭和53年トヨタ自動車工業会長 |
品川實 しながわ みのる |
ユーキャン 創業者 |
1917 大正6 ~ 2009 平成21 |
伊勢崎市に生まれる 昭和29年 東京人形学院設立 昭和49年 関連法人を統合し (株)日本通信教育連盟を設立 昭和59年 伊勢崎市に高額を寄付し紺綬褒章 平成18年 ユーキャンに社名変更 |
丸橋嘉蔵 まるばし かぞう |
まるか食品 創業者 |
1905 明治38 ~ 没年不明 |
佐波郡茂呂村に生まれる 昭和4年佐波郡伊勢崎町川久保町で製麺業 昭和37年(有)丸橋製麺工場設立即席ラーメン 製造、丸橋嘉蔵の名前から丸と嘉をとり まるか 昭和39年まるか食品(株)設立 昭和48年ペヤングヌードル販売 昭和50年ペヤングソース焼きそば販売大ヒット 昭和52年~昭和60年 伊勢崎法人会理事 昭和53年伊勢崎税務署長感謝状 昭和59年~平成5年伊勢崎商工会議所議員 「無借金経営」で知られる |
細野六郎 ほその ろくろう |
サカタの タネ 専務取締役 |
? ~ 2019 平成31 92歳 |
伊勢崎市出身 東京都国立市在住 昭和24年 サカタのタネ 入社 種子の生産、品種改良に従事し専務取締役 平成25年に出身の伊勢崎市に1億円 平成26年には会社のある横浜市にも1億円を 「世界に羽ばたく人材育てて」と寄付 |
久保田一夫 くぼた かずお |
白十字 | 1947 昭和22年 ~ 現在 |
伊勢崎市出身 白十字株式会社 群馬工場長等を歴任し 平成21年(2009)から5代目社長に就任 平成27年(2015)から会長 |
松井研三 まつい けんぞう |
プリオ パレス |
1947 昭和22年 ~ 現在 |
伊勢崎市出身 昭和41年(1966)伊勢崎東高等学校卒 専修大学卒業後、(株)大村に入社 昭和58年(1983)(株)プリオパレス 平成5年(1993)社長に就任 平成16年(2004) (株)プリオコーポレーションに組織変更 群馬県立伊勢崎高等学校同窓会長 |
氏名 | 職業 | 生没年 | 経歴 |
森村新蔵 もりむら しんぞう |
日本全国 を旅 |
1794 寛政6 ~ 1874 明治7 |
那波郡連取村の名主森村新蔵家の三代目として生 まれる 文政4年(1821)家督を継ぐ 日本各地を踏破 「亨和以来新聞録」「北国見聞記」「西国見聞記」 等、自筆の記録で江戸時代末期の世相・生活を知る 文献 伊勢崎市指定重要文化財「森村家の文書」 |
相川之賀 あいかわ しが |
考古品 収集家 |
1866 慶応2 ~ 1950 昭和25 |
伊勢崎市三光町の名主の生れ、赤石学校卒業 明治19年 渡米、その後カナダへ、インディアン の民俗資料を収集し東大へ寄贈 大正2年 帰国後、本県の考古資料収集、国指定重要 文化財の埴輪像4件がある 没後に遺族が相川考古館を開設 (公財)相川考古館 |
矢島保治郎 やじま やすじろう |
探検家 軍人 |
1882 明治15 ~ 1963 昭和38 |
佐位郡殖蓮村に生まれる 群馬県尋常中学校(現 前高)に入学するが中退、 日露戦争に従軍、軍曹に昇格 河口慧海(かわぐち えかい)の「西蔵旅行記」に 刺激され明治42年世界無銭旅行に旅立つ 大正2年 チベット軍の軍事顧問に就任 大正7年国外退去で帰国、晩年を前橋で過ごす |
氏名 | 分野 | 生没年 | 経歴 |
鈴木惣太郎 すずき そうたろう |
野球 | 1890 明治23 ~ 1982 昭和57 |
佐波郡伊勢崎町に生まれる 明治41年旧制前中卒、 大倉高商英語科卒、渡米しアメリカのプロ野球を 学ぶ、正力松太郎の米国大リーグ招聘に尽力 昭和43年 野球殿堂入り、昭和48年 勲三等瑞宝章 伊勢崎市営野球場を「鈴木惣太郎記念球場」と命名 「日本プロ野球の生みの親」と云われる |
小林弘 こばやし ひろし |
プロボ クサー |
1944 昭和19 ~現在 |
伊勢崎南中卒、 元WBA・WBC世界スーパーフェザー級チャンピオン 「雑草の男・小林」の異名 |
関川哲夫 せきがわ てつお |
プロレス | 1951 昭和26 ~ 2017 平成29 |
父は群馬県会議員・織物組合副理事長の関川勝三郎 昭和44年伊勢崎工業高等学校卒 中央大学法学部中退 柔道・相撲(四股名 関川)昭和47年プロレスに転向 プロレスラー ミスターポーゴ 平成15年伊勢崎市議選に立候補 |
井野修 いの おさむ |
プロ野球 審判員 |
1954 昭和29 ~現在 |
宮郷小、宮郷中、昭和48年前高卒、神奈川大学 経済学部卒 日本野球機構審判部 |
八木たまみ やぎ たまみ |
走高跳 | 1958 昭和33 ~現在 |
伊勢崎市連取村に生まれる 殖蓮中、太田市商、 関東学園大学卒 日本人女子初の1m90の壁を超えた 1980モスクワオリンピックの不参加で出場ならず |
松本稔 まつもと みのる |
高校野球 | 1960 昭和35 ~現在 |
伊勢崎市馬見塚町に生まれる 昭和54年前高卒、筑波大大学院卒 昭和53年第50回選抜で 高校野球史上初の完全試合を達成した 現在は県立中央中等教育学校教諭 |
諏訪利成 すわ としなり |
マラソン | 1977 昭和52 ~現在 |
佐波郡東村に生まれる 桐生工高、東海大学卒 大学時代は箱根駅伝で「花の二区」を走る 日清食品に入社、2004アテネオリンピックに出場 2003 2時間7分55秒 現在はコーチを務めている |
塩尻和也 しおじり かずや |
マラソン | 1996 平成8年 ~現在 |
伊勢崎市立境北中学校卒 伊勢崎清明高等学校卒 順天堂大学卒 富士通陸上競技部所属 2021年ニューイヤー駅伝 富士通優勝 |
氏名 | 職業 | 生没年 | 経歴 |
岡部宇一郎 おかべ ういちろう |
詩人 市助役 経営者 |
1902 明治35 ~ 2002 平成14 |
明治35年茂呂村の農家に生まれる 大正5年 佐波郡茂呂尋常高等小学校卒後に 俳句や詩を始める 大正13年茂呂村役場に勤務 横堀真太郎の同人誌に参加、昭和30年伊勢崎市 助役、昭和35年千代田工業(株)社長 昭和53年「岡部宇一郎詩集」発行 石碑(詩碑)が広瀬川湖畔に建立されている |
須田満 すだ みつる |
作家 経営者 |
1940 昭和15 ~現在 |
昭和15年伊勢崎市に生まれる 伊勢崎市立宮郷中卒、現 サンデン(株)に勤務後に 独立開業しニチアングループ会長 その間に、群馬県立高崎高等学校通信制、 放送大学教養学部卒 主な著書 平成6年「風の便り」 平成10年「ステンカ・ラージンの遺産」 平成13年「こんこちのぶやん」 |
相川俊英 あいかわ としひで |
地方自治 ジャーナ リスト |
1956 昭和31 ~現在 |
昭和31年伊勢崎市に生まれる 昭和50年群馬県立前橋高等学校卒 早稲田大学法学部卒 文化放送報道部記者を経て 地方自治ジャーナリスト 田原総一朗の「サンデープロジェクト」に出演 未来政治塾講師 主な著書平成7年「がんばれ!ニッポン最低企業」 「地方議会を再生する」「トンデモ地方議員の問 題」等多数あり |
茂木克美 もぎ かつよし |
川柳 経営者 |
1937 昭和12 ~現在 |
昭和12年伊勢崎市に生まれる 昭和30年群馬県立前橋高等学校卒 早稲田大学商学部卒、家業の(株)茂木園を継ぐ 柳号 秋山春海(あきやま はるうみ)、青龍舎 上州時事川柳クラブ会長 主な著書 「伊勢崎の川柳遺産ここにあり」 平成30年「秋山春海」 カルタの制作「上州群馬漢字歌留多」 「ほこらかるた」等 |
たみや じゅん | 放送作家 | 1945 昭和20 ~現在 |
昭和20年伊勢崎市に生れる 昭和39年群馬県立前橋高等学校卒 早稲田大学教育学部卒 テレビ「ニュースステーション」等携わる 帰郷後は有機農業に取り組む 主な著書 平成20年「国定忠治を有名にした伊勢崎の女」 平成25年「関東大震災で飛躍した企業」 令和3年「明治維新はなかった!?」 |
森村俊之助 もりむら としのすけ |
文学 | 1933 昭和8年 ~現在 |
昭和8年伊勢崎市に生まれる 伊勢崎商業高等学校卒 伊勢崎市役所に勤務 総務部長時代に市長代行 伊勢崎文学会主宰、「伊勢崎文学」発行 |
関口芙沙恵 せきぐち ふさえ |
小説家 | 1944 昭和19 ~現在 |
伊勢崎市境島村に生まれる 本名 房枝 埼玉県立本庄高等学校卒業 昭和2年 「蜂の殺意」で第8回サントリー ミステリー大賞読者賞を受賞 平成15年時代小説「修羅の川」を発表 |
横堀真太郎 よこぼり しんたろう |
詩人 作曲 教育者 |
1902 明治35 ~ 1976 昭和51 |
佐波郡三郷村に生まれる 群馬師範を卒業、県内各地小・中学校で教師、 校長を歴任 筆名 赤城ゆたか 同人誌「明日」に 参加、同人誌「童謡詩人」「童謡祭」を発行 作詞・作曲を併せ1500以上の作品を残す 代表作は「鈴つけお馬」(作詞)等 |
横堀恒子 よこぼり つねこ |
作詞家 政治家 |
1907 明治40 ~ 1972 昭和47 |
本名 ツ子 (つね) 幼少の頃、渋沢栄一の生家で養育され その後、豊受小、桐生高等女学校卒 在学時から文学少女と云われた 昭和4年横堀真太郎と結婚し筆名を横堀恒子 夫の真太郎の作曲による「花の幌馬車」を代 表曲に町田佳聲作曲「機場むすめ」等の28曲 のレコード作品を残す 伊勢崎市立三郷小学校の校歌を作詞 三郷村の女性初村会議員 |
富岡啓二 とみおか けいじ |
詩人 | 1927 昭和2 ~ 1955 昭和30 |
伊勢崎町栄町85に生まれる 富岡郁夫の兄、昭和19年前中4年から 桐生高専機械科に入学 詩に傾注し昭和21年桐生高専中退 昭和22年水戸高等学校文科甲類に 入学するが結核で中退、闘病と詩作の生活 「牧神の午後によせて」等を発表 昭和30年結核で逝去 夭折(ようせつ)の天才詩人 参考:鐘楼のある街 |
氏名 | 分野 | 生没年 | 経歴 |
中島徳蔵 なかじま とくぞう |
倫理学 | 1864 元治元年 ~ 1940 昭和15 |
佐位郡今井村に生まれる 明治18年群馬県中学校(現 前高)卒、 明治27年帝国大学哲学科専科終了、哲学館 (現 東洋大学)、東京工業学校(現 東京工業大学) 等で倫理学の教鞭をとる 徳蔵を有名にしたのが明治35年哲学堂事件である 大正元年東洋大学学長に就任 日本における倫理学の第一人者 |
松本宏洞 まつもと こうどう |
教育 日本画家 書家 |
1827 文政10 ~ 1911 明治44 |
那波郡大正寺村に文政10年11月15日生まれる 本名を詢( まこと)、字(あざな)を子均(しきん) 号を宏洞(こうどう) 江戸に出て書を中沢雪城、絵を福田半香、漢詩を 儒者の大橋納庵に学ぶ 明治元年村内に郷学 行余堂を開く 門下生には野村藤太、徳江亥之助、五十嵐栄三郎 サンデンの創業者 牛久保海平の名付け親 頌徳碑が大正寺町公民館の付近に建立されている |
新井雀里 あらい じゃくり |
漢学者 教育者 |
1813 文化10 ~ 1900 明治33 |
学習堂の頭取 現 宗高町に南淵塾(なんえんじゅく)を開く 門下生 森村堯太 宇野菜花洞 国定忠治の墓碑銘を手掛けた |
設楽天僕 したら てんぼく |
西洋医学 教育者 |
1841 天保12 ~ 1883 明治16 |
長崎で西洋医学を学ぶ 郷学「責善堂」の頭取 石川泰三、武孫平、細野次郎を育てる 赤石学校校長 |
氏名 | 分野 | 生没年 | 経歴 |
田島弥太郎 たじま やたろう |
遺伝学 | 1913 大正2 ~ 2009 平成21 |
世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の田島弥平 旧宅の田島弥平の一門末裔、佐波郡島村の蚕種屋に 生まれる 埼玉県立本庄中学校 東京高等蚕糸(東京農工大学) 九州帝国大学農学部で遺伝学を学ぶ 蚕の突然変異、遺伝子操作の研究 1998群馬県立日本絹の里 初代館長 2004富岡製糸場世界遺産登録推進委員会会長 |
町田徳之助 まちだ とくのすけ |
仏文学 | 1920 大正9 ~ 2004 平成16 |
町田佳聲の甥、父 町田浜次と母 とく の三男 昭和13年旧制前中卒後、早稲田大学大学院で仏文学 を専攻 昭和33年早稲田大学教授に就任 主な著書「隠蔽の幻惑 ヨーロッパ的知の行方」 「暫定的生としての世界 現代文明のディレンマ」 |
斎藤良輔 さいとう りょうすけ |
玩具 おもちゃ |
1911 明治44 ~ 1996 平成8年 |
白水楼 斎藤太七の孫 旧制太田中卒、早稲田大学 文学部を卒業、昭和11年朝日新聞社会部に入社 「週刊朝日」副編集長等を歴任 ジャーナリスト 入社当時からおもちゃの研究をし 主な著書に「日本の郷土玩具」「おもちゃと玩具」 「郷土玩具辞典」等多数 女子聖学院短大で児童文化の講師 おもちゃ研究の第一人者 |
荻原清治 おぎわら きよはる |
生糸 | 1903 明治36 ~ 1976 昭和51 |
佐波郡宮郷村に生まれる 大正11年上田蚕糸専門学校入学 信州大学繊維学部教授 農学博士 昭和9年「煮繭論 しゃけんろん」発行 昭和53年旧宮郷公民館敷地に胸像建立 |
右島和夫 みぎしま かずお |
考古学 | 1948 昭和23 ~ 現在 |
境町に生れる 昭和43年群馬大学に入学 関西大学大学院修士課程修了 現在 群馬県立博物館 特別館長 |